伝道掲示板
人間がこんなに多いというのに
なんと人間に会うことが難しい
(米沢英雄)
今回取材をさせていただいた真廣寺さんは、掲示伝道と併せてウェブサイトを公開しているお寺ということで、これらに取り組んでいる副住職の竹中慈祥さんにお話しを伺いました。
竹中さんは、約20年前より大阪の難波別院にお勤めのため、自坊から離れて暮らしていたこともあって、地元の門徒さんとの関わりが薄いのではと常々感じておられたとのことでした。
そんな中、パソコンを使って寺報の製作をしてみたいと思われたのがそもそもの発端だそうで、元々は全く使えなかった状態から独学されたそうです。
そして、2008年3月に掲示板の筆耕を住職さんから、寺報の製作を門徒さんから引き継がれました。いずれも、「そろそろ引き継いで欲しい」との声がご縁となりました。また、掲示板の言葉に文章を付けることを大切にしたいと、ウェブサイトの公開も同時期に始められました。
出来合いの墨汁しか使ったことのない私には新鮮なことでしたが、竹中さんは毎回墨を摺って掲示板の文字を筆耕されます。これには理由があるそうです。
竹中さんは書を書家の故・末吉翠巌氏に学ばれていました。しかし、まだ習っている途中で先生が還浄されたのです。筆を持つ時、お世話になった先生のことを思い出し、字と向かい合いながら、筆を進めていく竹中さん。先生が亡くなられた今でも、ご自身の書の目標としているそうで、その思いが毎回墨を摺らせているのでしょう。
お話を伺う中で、「お寺の教化」が話題になり、「お坊さんは木こりやぞ」という竹中さん自身が先輩からいただいたという言葉をお聞きしました。木こりとは、先代が植えた木をいただき、自ら守り育て、後の世代に伝えていくという、世代を超えた仕事。
僧侶の身をもって、先代はもとより、お育ていただいた門徒さんの願いと共に現場を生きていくことで、自らが育てられ、その中でさせてもらう行為がまた願いとなり次の世代に代えられてゆく比喩だということです。大切な問いかけとして、聞かせていただきました。
掲示板の言葉などの考え方や、公開の仕方も興味深いお話でした。
掲示板の言葉は、その時々に心に残る言葉を、その場でパソコン上のクラウドサービス「Evernote(エバーノート)」(※1)に保存し、その言葉に付ける文章も同様に思いついた時に編集します。また、掲示板を更新した時には、その画像と文章をお寺のホームページで公開します。ホームページの更新は連動して、つぶやきサイト「Twitter(ツイッター)」(※2)や、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)「Facebook(フェイスブック)」(※3)等からも発信されるようになっています。お寺の前を通らなくても、掲示板の言葉に出会える仕組みを取られているのです。
お寺の掲示板をインターネットと結び付けていくこと、これからの形の一つではないでしょうか。興味深く聞かせていただきました。
真廣寺Website http://shinko-ji.com/
Twitter @shinko_ji
※1文書、画像、音声データなどを保存できるウェブサービス
※2140字以内の短いネット上の投稿を公開し、共有するウェブサービス
※3インターネット上で個人の情報を登録し社会的なつながりを作っていく交信サービス
(長浜教区通信員 筧 承)
『真宗』 2011年10月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:長浜教区第12組真廣寺(住職 竹中 静純)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。