2000(平成12)年 真宗の生活 2月 【本願】
<宗教を求めるこころ>
京都の烏丸通を、紫明通から少し南に下がって、東に入ったところに「相応学舎」があります。大谷大学の近くになりますが、安田理深先生を中心に開かれた聞法の道場です。そこに通っていた先輩に聞いた、今から二十年ほど前のお話です。
先生の講義が始まろうとするころ、烏丸通を暴走族が、けたたましい音を立てて何度も往復していました。その先輩は当時は若かったので、自分が注意をしてくると勇んで立ち上がったのですが、それをとどめて、先生はこう言われたそうです。「あれは彼らの宗教心のあらわれである」と。
さまざまな縁の中で私たちはさまざまに行動します。しかしそのどれもがはっきりと言葉にならないにしても、「こうなりたい」「こうしたい」という欲求、またそれが見つからない、うまくいかないことへのいらだちにつらぬかれてはいないでしようか。いまのことばで言えば「自己実現」ということでしようか。
わたしたちは、この世の中の一つ一つのことに善・悪、好き・嫌いという形で関係を持つています。それを聞法の中にまで持ち込んで、仏法を聞くことが善、それを邪魔するのが悪……。なぜかだんだん息がつまってきます。そういう生き方を続けても本当の自己実現はありそうもありません。
安田先生のことばは、そういつたものとは違った、人間をつらぬくものを教えてくださっているように思います。「宗教心」ということばの中に、すべてのものにかけられているといわれる「本願」の確かなはたらきを感じさせていただきました。
『真宗の生活 2000年 2月』【本願】「宗教を求めるこころ」