第1回 偈前の文
- 【原文】
爾 者 帰 大 聖 真 言 閲 大 祖 解 釈 信 知
仏 恩 深 遠 作 正 信 念 仏 偈 曰
【読み方】
しかれば の大聖 に真言 し、帰 の大祖 に解釈 して、閲
の仏恩 なるを深遠 して、信知 を作りて正信念仏偈 わく、曰 - 【原文】
私たちは日ごろ、真宗の『勤行集』によって「正信偈」に接していますが、それはもともと、親鸞聖人が著された『教行信証』に収められているものです。『教行信証』というのは、親鸞聖人の代表的なご著作です。聖人は、このご著作によって、浄土の教えが「真実」であることを顕らかにされたのです。その意味で、真宗の教えの根本となる
「正信偈」は、詳しくは「正信念仏偈」といいますが、それは、「念仏の教えを正しく信ずるための道理を述べた歌」というほどの意味です。漢文で書かれた詩で、七文字を一句とし、百二十句、六十行からなっています。
親鸞聖人は、『教行信証』に「正信偈」を掲げられるに先だって、まず「正信偈」をお作りになった、そのお気持ちを、
「しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく、」(聖典203頁)
と述べておられます。
「大聖の真言に帰し」とあるのは、釈尊が説かれた真のお言葉を依り処とする、ということです。釈尊は、『
次の「大祖の解釈に閲して」というのは、インド・中国・日本の三国に出られた七人の高僧が、『大無量寿経』の教えを正しく受けとめられた、そのご解釈を手がかりにする、ということです。親鸞聖人は、『大無量寿経』についてのご自分の見解を主張しようとされたのではなく、三国の七高僧のご教示を仰がれたのです。
親鸞聖人は、ご自身を見つめるのに大変厳しい眼をおもちでありました。ご自身を、愚かで罪深い凡夫であると見極めておられたのです。実は、そのような凡夫を何としても助けたいというのが、『大無量寿経』に説き示されている阿弥陀如来の本願なのです。親鸞聖人は、このような『大無量寿経』の教えを依り処とし、また、このお経の教えについての大先輩がたのご解釈によって、
「正信偈」は、全体を大きく二つの部分に分けて見られています。その一つは、「
私たちが、日々のお勤めのときに「正信偈」をあげ、またこうして「正信偈」の「こころ」に触れようとするのは、愚かで、なさけない生き方しかできていない者が、親鸞聖人のお勧めの通りに、「大聖の真言」と「大祖の解釈」を讃嘆し、その恩徳に感謝することになるのです。
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘
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