正信偈の教え-みんなの偈-

この上にない勝れた願い

【原文】
建 立 無 上 殊 勝 願
超 発 希 有 大 弘 誓

【読み方】
無上殊勝むじょうしゅしょうがん建立こんりゅうし、
希有けう大弘誓だいぐぜい超発ちょうほつせり。


 この句には、法蔵ほうぞう菩薩がことのほか勝れた願いをおこされたことが述べられています。その願いは、実は、私たちにとってとても大切な願いなのです。
 『大無量寿経だいむりょうじゅきょう』によりますと、世自在王せじざいおうという名の仏が法蔵菩薩の願いを聞きいれられ、あらゆる方角におられる多くの仏さまがたの浄土の成り立ちをお示しになったと説かれています。菩薩は、示されたそれらの浄土の様子、そしてそれぞれの浄土の人びとのありさまをくまなく見届けられたのです。それについては、前回申し述べた通りです。
 諸仏の浄土を見届けた上で、法蔵菩薩は、無上殊勝の願、つまり、この上にない、殊のほか勝れた願いを立てられました。それは、他の諸仏が浄土を建設しようとされたときのお気持ちとは違った、法蔵菩薩だけの志願であったのです。浄土に往生できていないすべての人びとを救いたいという願いでありました。
 『大無量寿経』に「無上殊勝の願を超発せり」(聖典14頁)と説かれているところを、親鸞聖人は、「無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり」と詳しく言い換えておられます。希有というのは、希に有るということ、つまり希にしかないこと、という意味です。法蔵菩薩は、他に例のない大きく広い誓いを発されたということです。ここで誓いといわれているのは、「無上殊勝の願」を願いのままで終わらせることなく、その願いを必ず実現させることを誓われたということなのです。しかも、超発といわれているのは、他の仏より超えて勝れた誓願せいがんを発されたということです。この誓願が、実は『大無量寿経』に明らかにされている四十八願なのです(聖典15~24頁)。
 四十八からなる法蔵菩薩の願いのなかで、もっとも注目されてきたのが、第十八の願です。その願文がんもんは、「たといわれ、仏を得んに、十方じっぽう衆生しゅじょう、心をいた信楽しんぎょうして我が国に生まれんとおもうて、乃至ないし十念じゅうねんせん。もし生まれずは、正覚しょうがくを取らじ。ただ五逆ごぎゃく正法しょうぼう誹謗ひほうせんをばのぞく」(聖典18頁)というものです。これは「至心ししん信楽しんぎょうの願」、もしくは「念仏往生の願」(聖典973頁)といわれている本願です。
 法蔵菩薩は、世自在王仏のみまえで願いを発され、そして誓いを述べられました。「たとえ私が仏に成ることができるとしましても、十方のあらゆる人びとが、心を尽くして、私の浄土に生まれることを信じてねがい、念仏したとしまして、もしもその人びとが浄土に生まれることができないのであれば、私はむしろ仏の覚りを得ることはないでありましょう。ただ、五つの重い逆罪を犯す者と正しい教えをそしる者だけは別です」、と。心から念仏して浄土に往生することを楽う人ならば、誰でも往生させてあげたいというのが法蔵菩薩の願いなのです。
 ここに、「唯…をば除く(唯除ゆいじょ)」とあります。法蔵菩薩が誰でも往生させたいと願いながら、そこから排除される者があるように見えて、奇異に感じられます。しかし、この文は「抑止おくしもん」といわれていますように、「唯除」というのは、往生から排除することが目的なのではなくて、このような罪を犯さないようにと、あらかじめ、いましめられている慈悲に満ちた教えなのです。
 なお、五つの重い逆罪とは、一般には、父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢あらかん(聖者)を殺すこと、仏のお身体を傷つけ血を流させること、サンガ(教団)の調和を破って分裂させることとされています。
 これらの重罪を犯した人としてよく知られているのは、マガダ国の阿闍世あじゃせ王と、提婆達多だいばだったという仏弟子です。阿闍世王は、父の王の頻婆びんば娑羅しゃら王を死にいたらしめて王位を奪いました。そして頻婆娑羅王を助けようとした母の韋提希いだいけ夫人ぶにんをもう少しで殺すところでした。また、仏弟子でありながら釈尊に反逆した提婆達多は、釈尊を害そうとして傷を負わせ、それをたしなめた阿羅漢である比丘尼びくにを殺害し、仲間を引き連れてサンガから去って行ったと伝えられています。なお、この二人の救いは別のお経に説かれます

大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘

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