難行か易行か
- 【原文】
顕 示 難 行 陸 路 苦
信 楽 易 行 水 道 楽
【読み方】
難行の陸路、苦しきことを顕示して、
易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
釈尊は、後の世に、龍樹という菩薩が出られるであろうと予告されました。龍樹大士は、この上なくすぐれた大乗の法を世間に説き明かされるであろうということ、そして、やがては阿弥陀仏の浄土に往生されるであろうということ、このような予告を釈尊はなさったのでした。それは『楞伽経』というお経に説かれているものです。
このお経の所説にもとづいて、親鸞聖人は龍樹菩薩のことを「正信偈」に紹介しておられるのですが、これは、釈尊が六百年も後のことを予告なさったという、不思議なお話として述べておられるのではありません。親鸞聖人は、龍樹という人こそが、釈尊の教えを正しく継承され、その肝心かなめのところを広く世間に伝えてくださったお方であることを私たちに教えようとしておられるのです。
龍樹大士は、いくつかの著作を残しておられますが、その中に、「十住毘婆沙論」というものがあります。これは『華厳経』という大きなお経の「十地品」という章の教えを解説した「論」なのです。なお、「十地品」を『華厳経』から独立させて、『十地経』として用いられる場合もあります。
「十住毘婆沙論」の「易行品」というところに、「難行道」と「易行道」のことが述べられているわけです。つまり仏道を歩むのに、困難な道と、易しい道と、二つの道があると説かれているのです。「難行道」は、自分の歩く力をたよりにして、けわしい陸路を進もうとする「聖道門」の修行をたとえたものです。一方の「易行道」は、阿弥陀仏の本願という船に乗せてもらって、安楽に浄土往生に導かれるとする「浄土門」の念仏の教えです。
そのことを親鸞聖人は、「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」(難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ)と詠っておられるのです。つまり、龍樹大士は、難行の陸路は苦しみでしかないことを明らかに教え示されて、水路を進むことは易行であって、それは楽しくてうれしいことであることを私たちに信じさせ、私たちにその易行の道を願わせようとしてくださっているのだということです。親鸞聖人は、そのような龍樹大士の徳を讃えて、大士の教えを大切に受け止めるよう私たちに教えておられるというわけです。
おそらく、龍樹大士は、自分の努力によって悟りを得るために、それこそ命がけの修行に励まれたことでしょう。目の前にちらつく世間の快楽と闘い、ややもすれば気力を失いがちな自分の心を奮い立たせながら、ひたすら道をきわめようとされたことであろうと思われます。
しかし、励まれれば励まれるほど、自分の力の限界、自分の弱さ、自力を尽くすことの空虚さ、それを痛切に思い知らされるようになられたのではないでしょうか。その時に、ハッと気づかれたのが、阿弥陀仏の大慈大悲によってはたらきかけてもらっている本願他力の教えのありがたさだったのだと思います。
ですから、難行と易行と、二つの道があって、そのどちらかを選びなさいという教えではないのです。自力難行の行き着く、その絶望の果てには、他力易行の教えしか残っていなかったということを教えておられるのだと思います。
私たちは、「五濁の悪時」といわれる世の中に生きなければなりません。五濁の世においては、時代社会そのものが濁っているのだと教えられています。また五濁の世を生きる人びとの資質も濁りきっていると教えられています。
そのような現実のなかで、人びとは、自らの努力によって平和を実現しようと願いながら、そのために争いを続けています。自分の幸せを求めながら、そのことによって、不安や苛立ちを背負いこんでいます。豊かになろうと努力しているのに、そのために寒々とした心の貧しさに恐れおののいています。
このような時であるからこそ、愚かな凡夫の「はからい」をちょっと横に置いて、この私を何とかして安楽にしてやりたいと、願われている願いに謙虚に身をゆだねられるような自分になりたいと思うのです。
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘
< 前へ 第38回 次へ >