医師が患者に合掌
(林 弘幹 教学研究所助手)
現在、私は二人の介護に明け暮れている。認知症の父が先日から骨粗鬆症になり、骨を造る薬は朝食の三十分前に飲まねば効果がないため、薬を準備し、そのことを見届けることが必要である。また、母は突然、難聴になり、日常会話にも支障をきたしているが補聴器の装着はかたくなに拒否している。
先日、父が夜中に一方的に話すので困ると母が言うため、認知症の専門医を尋ねることにした。ケアマネジャー(介護支援専門員)の方から紹介してもらって診てもらうことにした。いろいろな症状を訴える認知症の患者さんが待合室にいた。時間は指定されているが、皆、時間前に診察に訪れるから、さまざまな症状の方がいることがわかる。静かに家族が付き添っているが、自宅では介護の疲れと患者さんが期待したような態度を示さないため、時には叱りつけるような声が響いていることだろうと思って、順番を待っていた。
待つこと三十分、順番が回ってきた。患者と家族は別々の部屋で尋ねられる。本人に対してはどの程度の症状なのか把握するために、記憶に関する質問などをされたようだ。家族に対しては症状が現われた時期や今特に困っていることを尋ねられた。別々の診察が終わった後、患者と家族はいっしょに医師の診察室に呼ばれ、話を聞くという手順であった。夜中の独り言は不安からきていることであり、入院中の患者さんにもよくみられることなどを話していただいた。現在、治療を受けている医師の処方に問題はなく、そのまま続けてください、ということで話は終わった。
話を終えるとき、医師は自然な雰囲気で患者(父)に合掌された。医師が患者に合掌するという体験は初めてであった。奇異な感じというより、何かこちらにその生き方でいいんですよ、という自信を与えていただいたような感じがした。父もまたびっくりした表情で私の目を見ていた。医師が患者に合掌をされるとはどういうことなのだろうか。父が坊さんであることを伝えたのだろうか。それにしても自然の感じで合掌されたのであった。何度言っても忘れる父に対して尊敬ということは持ち合わせていなかったが、この医師の行動を見て気づいたことは、人を条件をつけずに尊敬されている姿であった。人をひとりの人間として無条件に尊敬できること、そのことを具体的に示された。人間を無条件に尊敬する、このことは親鸞聖人が私たちに伝えられた大切なメッセージではなかっただろうか。親鸞聖人の「同朋」という言葉をあらためて考えさせられている。
(『ともしび』2006年1月号掲載)
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