宗祖としての親鸞聖人に遇う

「親鸞」の名のり

(鶴見 晃 教学研究所研究員)

時々、「親鸞」とは誰なのだろうと考える。おかしいかもしれないが、私は、一体誰を「親鸞」と呼んでいるのだろう、と疑問に思うのである。
たしかに「親鸞」の書いたものが残され、不明なことが多いながらその生涯が伝えられている。そして七五〇年にわたって、その人の教えに生きた人々があって、いま、私がその教えに縁をいただいている。それが私の前にある「親鸞」という人の事実である。だがいつの間にか、この「親鸞」という人を、宗祖と呼び、聖人といただくようになっているが、私がこの人の何を知っているのだろう。私はやはりそのように問い返さざるを得ない。
そんなとき、いつも立ち戻るのが「親鸞」という名のりの問題である。肩書きがなくなったらただの人というが、現代では、名が私とはこういうものであると明示することはほとんどない。しかし、「親鸞」という名はそれとはちがう。そこには明確な主張がある。
宗祖の名は「親鸞」の他に、比叡山時代の「範宴」、法然上人と出遇って名のった「綽空」、そして「親鸞」とともに生涯使用された「善信」がある。「綽空」は、末法という時代を課題にした道綽という人と、その道綽の提起した課題に浄土宗独立という形で応答した法然(源空)という人、その二人の名を合わせた名である。法然はその「綽空」の名において『選択本願念仏集』の流通を宗祖に託したのであった。それはいわば師から託された課題的な名といってよいだろう。しかし宗祖は、その名を返上して新たな名を名のる。
その名のりについては諸説があるが、宗祖は、『選択本願念仏集』をどこまでも戴き、善く信じる者であり続ける立場に自らを決したに違いない。つまり、師から託された課題への自己全体を挙げての応答、「善信」への改名である。そして「親鸞」。この名は流罪以後に名のられたものに違いない。それは師との別離を機に、どこまでも師の教えを善く信じようとする存在が、なお遺された教言を尋ね続けていく営みを象徴する名であるといってよい。
「親鸞」という名は、天親と曇鸞からとられたという。その二人が表しているのは、師の教えに生きる弟子の営みである。つまり天親の『浄土論』と曇鸞の『浄土論註』の関係からわかるように、師の教えを生みだした根源、すなわち阿弥陀の本願のはたらきを自他に明らかにしてやまない営みこそ、曇鸞の示した学びである。そこに師なき後を歩む弟子の営みがあると見定めたところに、「善信」は「親鸞」と名のりつつ生きる者となったのである。その二つの名のりの結晶化が「(愚禿釈)親鸞」の名のもとに編まれた『教行信証』に他ならない。
「親鸞」とは誰か、「親鸞」とは師の教えを尋ね続けるその営みにこそおられる。あの真筆『教行信証』(坂東本)を手に取り、私はそのことにいつも立ち返らされる。

(『ともしび』2007年8月号掲載)

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