宗祖としての親鸞聖人に遇う

聖人は身近に

(松本 専成 教学研究所嘱託研究員)

『ともしび』をご愛読くださっている皆様なら、昨年十一月二十七日夜、高倉会館の親鸞聖人讃仰講演会にもご縁を結ばれたかと思います。八十七歳の松野純孝先生が「ゐなかの人々と親鸞」という演題でお話くださいました。私も片隅で拝聴させていただきましたが、生来の難聴でよく内容が理解できずにおりました。
ところがこの春、東本願寺出版部がこれを伝道ブックスにしてくれました。全編に親鸞聖人に傾倒される松野先生の情熱のあふれた、平易な文章で学問的な水準の高い読み物になっています。ありがたいことです。
松野先生に教わることは多いのですが、一つだけ取り上げましょうか。親鸞聖人の本尊として、愛知県岡崎市の高田派妙源寺に現存する「選択相伝御影」を紹介されています。本願寺の関係者はあまり注意しなかったものです。中央に法然上人が描かれ、その上の讃銘は南無阿弥陀仏と本願加減の文である。親鸞聖人が『教行信証』の後序で元久二年閏七月二十九日のこととして、感動とともに書きとめられた(聖典三九九頁)史実に対応します。松野先生はいわれます。

いい肖像ですよ。草履が無造作に置いてある。それから、法然はきれいにひげをそっていない。ひげがのびている。面白い。それから、公式ばってきちんとしていない。背を傾けて。まあ、すべてが受容のかたち。すべてを受け容れるという姿です。
(『ゐなかの人々と親鸞』五九頁)

私は、親鸞聖人の安城の御影を想起しました。この御影もお姿の前には、草履、杖、火桶、狸の敷き皮などの日用品が描かれ、黒衣の下には朱色の着衣も見えています(『真宗の教えと宗門の歩み』口絵など)。
峻厳な仏道修行が、仏教から庶民を遠ざけてきたのに対して、法然上人や親鸞聖人の教えの懐の深さがこんなふうにも描かれているのです。
六月十八日月曜日午前、私は栗東市在住の十二人の僧侶と梅雨に煙る妙源寺にお参りしました。人影のない幽邃な境内です。古びた本堂の大きな丸柱に掛けられた、意外に小さな選択相伝の御影に、息を呑む思いでした。黒光りしていてよく拝めませんでしたが、松野先生のご教示で、草履はわかりました。

子の母をおもうがごとくにて
衆生仏を憶すれば
現前当来とおからず
如来を拝見うたがわず
(『浄土和讃』聖典四八九頁)

私たちも、南無阿弥陀仏と憶念すれば、きっと聖人の懐に抱かれるのでしょうね。

(『ともしび』2007年9月号掲載)

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