宗祖としての親鸞聖人に遇う

釈尊と親鸞聖人

(小川 一乘 教学研究所長)

仏教とか親鸞聖人の真宗が私の人生の具体的な関門となったのは、大谷大学で恩師山口益先生の仏教学に出遇うことができたからであった。末寺の長男として生まれ、寺の後継者として特別な扱いを受けながら大切に養育されてきたが、高校生になる頃には、それが重荷となり、周囲の敬愛に満ちた束縛から解放される自分の未来を考えるようになった。このままでは田舎の末寺に埋もれた人生となってしまう。あまりにも不本意である。自分の未来はこのままでよいのであろうか、自分に相応しい別の未来があるのではないか、と。そこには、仏教とか真宗は眼中になく、自分の未来への漠然とした大志だけがあった。
私の高校生の頃は、塾や予備校もなく、ときどき全教科の模擬試験があるだけの大らかな時代であった。仏教といえば京都というイメージがあったのか、担任の先生からは京都大学を受験してはどうかと薦められた。私自身も京都では京大に、東京では早稲田大学に憧れを抱いていたので、そのことを父に告げると、寺の後継者は大谷大学に進学すべきであり、京大などに行く必要はないと一蹴された。谷大に行かないのなら学費は出さないとまで言われ、頑固な父を恨みつつ、泣く泣く谷大の門をくぐった。そのとき父は「谷大でしっかり仏教を勉強してこい。それでも仏教に回心できず、仏教に人生を委ねる決意が沸いてこないのなら無罪放免してやる。青春時代の四年間などは短いものだ。」と、私を押し出した。
谷大での仏教への学びは、私としてはかなり真剣であった。卒業後の人生について決断しなければならなかったからである。授業だけでなく、仏書屋や古本屋を巡り歩きながら真宗学や仏教学に関する仏教書を求め読みあさった。そのとき、山口益著『空の世界』(理想社)に出遇った。それまで乱読してきた仏教書にはない信頼の置ける確かさがそこにあった。難解ではあったが、新鮮であった。入学したときは真宗学科を専攻するつもりでいたが、三回生となったとき躊躇なく仏教学科を専攻し、山口先生の指導の下で、縁起・空性・無我という徹底した自我崩壊の原理を前にして呆然自失し、一方では「自己とは何か」と自我を問うことのない唯物史観に虚構を感じ、ニーチェのニヒリズムに共感していたとき、

本願の名号は正定の業なり。
至心信楽の願を因とす。
等覚を成り、大涅槃を証することは、
必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、
ただ弥陀本願海を説かんとなり。
(聖典二〇四頁)

という「正信偈」の六句が、釈尊と親鸞聖人となって面前に立ち現れたのである。恩師の学問と父の信念とに導かれての出遇いであった。
今年の報恩講においても、面前に立ち現れてくださる世尊と宗祖の御前で、回心懺悔して仏恩報謝の念仏をいただける勝縁が待っている。

(『ともしび』2007年11月号掲載)

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