折詰の底の裏
(松本 専成 教学研究所嘱託研究員)
「宗祖としての親鸞聖人」というのは、覚如上人や蓮如上人のおことばでは「祖師聖人」、宗門で蓮如上人以来のお敬い言葉でいえば「御開山聖人」ということでしょうか。
祖師聖人というのは、今私たちに翻りを与えてくださる身近な存在なのでありましょうね。この老骨が、大きな感動で読ませてもらった一文も、そのよい事例であると思います。
お書きになったのは、大阪市の西岡慈美さん。一九七七年生まれの女性です。その内容は、十数年前学生時代に体験されたお話でした。宗教科の教員になるため大学に入ったのに、積極的な探求心は薄れて、何をやっても物足りなくて悶々としていた。そんな頃、東本願寺で行われる式典のお手伝い募集に応募して、御影堂でパンフレットを配布するお仕事をしたというのです。以下は、西岡さんの文章です。
その期間中の出来事。粗末な衣服をまとった老人から、空の折詰めのお弁当箱を手渡されました。ゴミだと思い疎ましげに受けとった私に、その老人は箱の裏底を見るように言われました。するとそこには、一面に見事な御影堂の絵が、ボールペンで描かれていました。繊細で温かみを感じるその絵を見て、私は驚きました。その老人は「東本願寺さんへ毎日お参りするんやけど、最近はあんたたちを見るようになって、御影堂がいつもと違って明るく見えたんや」という言葉を残し、お金が無くて綺麗な紙に描けなかったことを詫びて、その場を去って行かれました。(中略)
私はその老人を一目見た時、その身なりから自分の尺度で相手を判断し、蔑んだ態度で接してしまいました。しかし、老人の純粋で飾り気のない姿勢を目の当たりにして、自分が少しでも抱いた浅ましい心をとても恥ずかしく思いました。
(法語カレンダー随想集『今日のことば』第五十二集・一二頁、東本願寺出版部、二〇〇八年)
御影堂の絵に、何秒間か抱いた浅ましい心を「とても恥ずかしく思」った慈美さんと、女子学生に明るい御影堂を見つけた老人のお二人。こんな翻りを回心というのでしょう。その場所が祖師聖人のまします東本願寺だったのですね。お二人は祖師聖人にお会いして、すばらしい世界に入られたのでした。
(『ともしび』2009年3月号掲載)
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