たずねる私の姿
(松林 至 教学研究所嘱託研究員)
当然のことであるが、親鸞聖人は自ら「宗祖」とも「聖人」とも名乗っていない。これらはその生涯にたずねていこうというこちらの告白である。御遠忌を迎えるにあたり「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということから自身の姿が問われることとなっている。一人の生涯にたずねていくということはどういうことであるのだろうか。
『歎異抄』の第二章には、
念仏の教えをめぐり、関東の門弟の間で混乱が生じ、京都の親鸞聖人のもとに出向く門弟の姿が説かれてある。
おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。
(聖典六二六頁)
ここには過酷な旅路とそれを支える念仏の教えに聞いていこうとする門弟の姿を思うわけだが、あるとき、ふとこれらの姿をどこか羨ましく思ったことがある。ここには「身命をかえりみずして」までたずねるべき人として親鸞聖人に出遇っておられた門弟の姿があるのである。それは今、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということに問われたときに、どこにどうたずねていくのか、はっきりしないでいる自身への苛立ちが生むものであろうと思う。自分はどこへたずねるのか。
自身にとっての親鸞聖人がどういう存在であるのかが見出せず、焦り、苛立つ。そんなところから直接に親鸞聖人にたずねることのできた門弟たちの姿はわかりやすく映り、羨ましく思ってみたりするわけだが、しかしたずねた親鸞聖人の言葉はどうであったか。
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
(聖典六二七頁)
そこに、経文を引くなどしてなぜ念仏なのかということを説いた親鸞聖人の姿は説かれていない。このことは今、私が一人の生涯にたずねていこうとする態度になにを教えているのか。
自らの歩みに苦悩し、問いとなってきたとき、私は往々にして親鸞聖人の陰に隠れようとするのでないか。問いを親鸞聖人に丸投げすることで私の苦悩が消えていくと錯覚する。「師にたずねる」というときにはどうしても、個人の教えに従うことで一人一人の名が消えていくということが付いて回るように思うが、ここで親鸞聖人は師法然上人との出遇いについて「親鸞におきては」と自らの名をあげて語っているのである。「よきひとのおおせをかぶる」ことによって自らの名が起きあがってくるという親鸞聖人の姿勢に、少なくとも「人にたずねていく」ことが師の袂に隠れ、個人の名が消えていくようなことではないと知らされる。
いくら当時の門弟が直接親鸞聖人にたずねることができたとしても、そのことが答えとなり、問いが消えていくようなことが「その人の生涯にたずねる」ということではないことが教えられる。
私がふと羨ましく思ったようなところに親鸞聖人はいないのである。
(『ともしび』2009年5月号掲載)
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