『伝絵』中の親鸞聖人―箱根示現の意味―
(三本 昌之 教学研究所嘱託研究員)
親鸞聖人の曾孫覚如上人は『本願寺聖人伝絵』上下二巻十五段を制作し、聖人を顕彰した(康永本)。「伝絵」中に、ア「六角告命」の段、イ「蓮位夢想」の段、ウ「定禅夢想」(「入西鑑察」の段)、エ「箱根示現」の段、オ「熊野示現」の段と、仏神の示現・夢告の段に三分の一を割いてあるのが目を引く。
これらのなかで、本地(来)の仏が衆生済度のために、権りに神に姿を変えて現れる本地垂迹思想に依り、聖人は弥陀の化現として表されている。覚如上人の「伝絵」制作の意図のひとつに、本願念仏の教えを広めた親鸞聖人を、「生身の弥陀如来」として讃仰することがあったと考えられる。
これらのなかでエの「箱根示現」の段についてその意味を考えてみたい。
「箱根示現」は、関東から帰洛する親鸞聖人一行が、箱根の山中で日が暮れて困っていた所、箱根神社の神官が一夜をもてなした。聖人が理由を尋ねると、われ尊敬をいたすべき客人…かならず慇懃の忠節を抽でて、殊に丁寧の饗応を儲くべし、と権現の夢告があったからと答えたという。
聖人が箱根神社に立ち寄ったという伝承は「伝絵」以外の史料には見えない。そもそも本となる伝承があったのか、また覚如上人の創作なのかはわからない。この段はこれまで「念仏者は、無碍の一道…信心の行者には、天神地祇も敬伏」(『歎異抄』第七条)することを説いた段として理解されてきた。しかし、なぜ箱根神社でそのことを言わなければならなかったのか。他の神社でもよかったのではないか。道中には鶴岡八幡神社や三島大社、尾張の熱田神宮、近江の多賀大社など有名な神社がある。しかし、それらの神社ではなくて、箱根神社でなければならなかったのであろうか。また、箱根権現は、なぜ聖人を「尊敬を致すべき客人」と夢告したのか。
覚如上人が「伝絵」に「箱根示現」の段をいれた理由を、その祭神にあると考える。箱根神社の祭神は、ニニギノ尊、コノハナサクヤヒメノ尊の夫婦神と、子のヒコホホデノ尊の三柱である。そして、ヒコホホデノ尊の本地は勢至菩薩とされている。『仏説観無量寿経』に、「住立空中」の弥陀三尊が現じたように、勢至菩薩は観音菩薩とともに阿弥陀如来に脇侍としてつかえている。ここに、箱根権現でなければならない必然性があった。それこそ本地垂迹思想で説明できるのである。
ところで、「伝絵」のなかで、すでに勢至菩薩の示現とされた人物がいた。それは法然上人で、幼名を勢至丸といい「智慧第一の法然房」と称されていた。したがって、「伝絵」解釈では法然上人を勢至菩薩の示現として、弥陀三尊とみてきた。しかし、法然上人は聖人を教え導いた師匠であって、法然上人が、聖人を礼拝する形をとっていない。ところが「箱根示現」の段を設けることによって、勢至菩薩(法然上人)が弥陀如来(親鸞聖人)を尊敬するかたちとなって解決するのである。
親鸞聖人を「生身の弥陀如来」として崇敬させるうえで、「箱根示現」の段はそれを補完し証明す意味をもっていたのである。
(『ともしび』2009年9月号掲載)
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