宗祖としての親鸞聖人に遇う

「依正二報」に導かれて

(福島 和人 教学研究所嘱託研究員)

現地から伝わってくる惨状にいたたまれず、「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」(歎異抄、聖典六二八頁)との一句に背中を押され、社会科教師の私は夏の休暇を利用して水俣へ向かったのだった。
近代産業がもたらした害毒を被り、胎児性水俣病に捩れる身を晒して訴える若い患者達の姿を前に息をのみ、現に住む場所で起きている問題に取り組みを、との示唆を得て帰ったのだった。湖国滋賀では、ちょうど、ブルドーザーの轟音と共に琵琶湖総合開発事業が始まっていた。湖辺や山野に親しんできた住民として、私はその工事差し止めを求める裁判に参加していた。敗訴後も生態学の専門家と市民が共に足を運ぶ調査活動は続いたが、湖の環境再生の兆しの見えぬ中で、気がつけば、私にとっての唯一つの支えは、「仏性すなわち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまえり。すなわち、一切群生海の心なり」(聖典五五四頁)との聖人の言葉であった。その後、高度経済成長期の宴も終焉を迎え、まもなく、孤族、格差社会等の言葉と共に次々と椿事続発の中にあって、蓮如上人五百回御遠忌に続き、清沢満之没後百年の勝縁に喚び醒まされる中で、時は過ぎていた。
そして、本廟御影堂御修復事業の準備が本格化し出して、まもなくの平成二(一九九〇)年、大谷派内の青壮の僧侶たちから声の挙った御影堂大屋根へのソーラー瓦設置請願運動に千載一遇の機縁と応じたものの、二年を待たずして幻の瓦と化して終わっていた。その頃から、それまで私は特に気にかかることのなかった宗祖晩年の『正像末和讃』の次の一首に、心引かれるようになっていた。

  命濁中夭刹那にて 依正二報滅亡し
  背正帰邪まさるゆえ 横にあたをぞおこしける(聖典五〇一頁)

前二句は、末法に入って約七百年、現実味を増す命濁と共に、人命が短く脆くなり、依正二報、つまり環境も身も共に滅びゆく姿を悲歎し、後の二句は、その理由を正理に背き邪教に帰す故と指摘し、結果、様々に怨念が起こるのであるとの批判である(名畑応順校注『親鸞和讃集』〈岩波文庫〉参照)。
洛中三条の鴨川近くの弟・尋有僧都の坊舎・善法院に齢八十五歳の身を寄せた聖人が、眼をしばたたきつつものされたであろうこの一首を前にする時、「某親鸞 閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし」(改邪鈔、聖典六九〇頁)との遺語のごとく、一群生としての親鸞の眼に映った鎌倉時代の濁世の様相に、近年、四十一歳以下の世代短命化説を耳にするにつけ、今日の時代相が重なってくるのを覚えるのである。
「二十一世紀最大の問題は環境問題である」(鎌田東二)との指摘を前に、ではその解決への糸口は?と問う時、意外に身近にあるのではないか、と。即ち、自我意識を省みることなく、対立、閉塞する現代人が自らの迷倒する事実に目覚め、この一首中の依正二報と共に示されてきた身土一如等の教語の示す自身と環境、つまり身辺から国際社会にいたる、さらに付近の田畑、里山から地球に至るまでの万物万象が、因縁の法則と共に在る存在の実相に帰るその一点に、である。

(『ともしび』2010年6月号掲載)

お問い合わせ先

〒600-8164 京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199
真宗大谷派教学研究所
TEL 075-371-8750 FAX 075-371-8723