いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら
(蓑輪 秀邦 教学研究所長)
親鸞聖人在世のころ、「屠沽の下類」とさげすまれる人々がいた。親鸞は「屠は、よろずのいきたるものを、ころし、ほふる(切りさばく)ものなり。これはりょうし(猟師)というものなり。沽は、よろずのものを、うりかうものなり。これは、あきびと(商人)なり。これらを下類というなり」(聖典五五三頁)と述べている。猟師とか商人と呼ばれるものは、当時最下層の者たち(下類)と位置づけされていた。江戸時代になって士・農・工・商と「商」が最下層とされたのはその影響によるものと思われる。
なぜ国家はそのような階級制を作るのだろうか。いろいろな説があるが、簡単に言えば、国家を安定化させるためには法と社会秩序が必要なため、国民を身分や職業によって区分けし階級社会を作ることが要求されるから、と言うことができるだろう。だから最下層といっても、それに属する人たちの能力や知性がもともと低いわけでも、劣っているわけでもない。しかし、長い間そのような位置におかれ、上の者から命令され蔑視されていると、その人々はもともと劣ったもの(あさましきもの)と見なされて差別化が深化していく。
このようにして差別はすべての人間がもっている行動・表現・意志などの自由を、ある特定の人々から奪い取り、他の人々とのつながりの回路を遮断することによって、為政者に都合のよい社会組織を作ることになる。そして、そのような被差別的あり方がまるでその人自身の能力や倫理性の欠如から生じたように思いこませてしまう。
親鸞聖人は、自らも罪人として流罪に処せられ、世の中から疎んぜられる場に立って、はじめてこの人々の苦しみや怒りや悲しみを共有した。どのような立場の者であれ、すべてのものを苦悩の闇から救わずんばおかないという阿弥陀如来の本願はこの人々の中にこそ生きている、という確信が親鸞の内に形成された。
彼は「如来の本願は、瓦礫を金に変成せしめるようなものだ」という善導大師の言葉を引用してこう述べている。
りょうし・あき人、さまざまのものは、みな、いし・かわら・つぶて(礫)のごとくなるわれらなり。如来の御ちかいを、ふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにおさめとられまいらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまうは、すなわち、りょうし・あき人などは、いし・かわら・つぶてなんどを、よくこがねとなさしめんがごとしとたとえたまえるなり。(聖典五五三頁)
このような教えが差別され続けてきた人々にどれだけのインパクトを与えたかは想像を絶する。
「なぜいま親鸞か」という問いは、次のような答えを導き出すだろう。「今もなお虐げられ、差別されている人々、“負け組”と呼ばれる無念さを胸に抱いて世の片隅で生きている人々が大勢いるから」と。
(『ともしび』2010年11月号掲載)
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