宗祖としての親鸞聖人に遇う

人間であることの問い

(藤波 法英 教学研究所嘱託研究員)

 実家でもある田舎の寺を手伝わせて頂くようになって今年で六年が過ぎた。月参りが盛んな地域で、親しくご門徒さんと顔を合わせられる大切な時間だと思ってお勤めさせて頂いている。ほとんどの家ではどなたかお一人が私の後ろに参られるのだが、一件だけ必ず家族でお参りされるお宅がある。
 そのご家族が熱心になられるのには理由がある。六年前の夏、高校生の息子さんをクラブ活動中に心不全で亡くされ、それがご縁となって皆でお参りされるようになったのだった。息子さんのご両親と妹、そして祖父母の五人が毎月必ず一緒にお勤めをする。そのような一家族の姿をそういうこともあると簡単に片付けてしまえばそれまでであるが、なにしろ毎月必ず、家族そろってという姿勢に何か強い意志を感じさせられる。  お勤めを終えて茶の間で雑談をしていると、「あの子は今何しているんだろうね?」「あの世で頑張っているのかね?」と、まるでどこかで生きているかのような会話に度々なるのだが、私はその会話を大事にすべきだと思っている。なぜならそのような会話となって現われ出る亡くなった息子さんへの尽きせぬ思いが家族を動かし、毎月必ず仏前へと歩ませていると感じるからだ。
 言うまでもなく、諸行無常という仏教の教えからすれば亡くなったことを受けとめることが教えに適うことではあろう。しかし、受けとめられない人の心があるのではないか。私には親しい人の死に向き合う一家族の姿を通して、このお釈迦さまと親鸞聖人の姿が思い起こされる。
 若き日のお釈迦さまは人の死を目のあたりにされて「生まれることなく老いることなく病むことなく死ぬことのない、悲しみなくけがれのない、無上な、寂静な涅槃を求めねばならないではないか」(山口益編『仏教聖典』一八頁)と、出家を決意されたと伝えられている。そしてお城を棄てて托鉢乞食をしながら導師たるべき師をもとめて歩み出されたのだった。また親鸞聖人は、比叡山での修道に実りを見い出せないままに、「生死出ずべきみち」とは何かを求めて、
  
百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに、(『恵信尼消息』聖典六一六頁)

と、法然上人のもとに足を運ばれた。若き日のお釈迦さまと親鸞聖人は、ともに生き死んでいくいのちをいかに生きるのかにまどい、自らの足で師を求めて歩み出されたのであった。この誰もが道を求めてやまない、人間であることの問いを、一家族の亡き人への尽きせぬ思いが私に教えてくれたのだと思う。
 思い起こせば六年前、寺を守っていこうと決心し、意気揚々と自坊に帰ってきた私の姿が確かにあった。その同じ年の夏、若くして亡くなられた高校生の葬儀を勤めさせて頂き、生死の問いこそが門徒さんと私の間を繋ぐものだと確認したはずであった。あれから六年、また今年も夏が近づいてきた。私自身は、その問いを頂き続け歩み続けてきたであろうか。自己自身を振り返らずにはいられない。
(『ともしび』2011年7月号掲載)

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