親鸞聖人にとっての本願
(藤原 正寿 教学研究所所員)
親鸞聖人は、自らの回心の体験を『教行信証』の後序に、「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(聖典三九九頁)と記している。建仁元(一二〇一)年は、聖人二十九歳の時で、法然上人の「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(聖典六二七頁)という教えに出遇った年である。普通なら「ただ念仏せよ」という教えには、「念仏に帰す」と応答する。しかし宗祖は、如来の本願に帰すと言われる。つまり宗祖において、「念仏して弥陀にたすけられる」という法然上人の教えは、如来の本願に帰すこととして頷かれたのである。それは、念仏を救いの手段とすることの問題性、自分に都合の良い救いを実現しようとする人間関心に念仏が取り込まれることの問題性を見抜き、それと法然上人の念仏とが決定的に違うことを明確にすることであった。
本願に帰すということが宗祖にとってどれほど大切であったかは、『教行信証』全体が真実教としての『大無量寿経』の論書であること、つまり本願とその成就という関心で貫かれていることを見れば明らかである。それでは、親鸞聖人は、どのように本願ということを確かめておられるのであろうか。
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
「正信偈」(聖典二〇四頁)
「正信偈」はその冒頭、阿弥陀如来の恩徳を述べるところで、阿弥陀そのものではなく、いきなり因位の法蔵のことを述べている。親鸞聖人が見ておられた阿弥陀如来とは実体的なものではなく、具体的には、法蔵菩薩が誓われた本願というはたらきであった。法蔵菩薩が、その説法を聞いて自らもその様な世界を作りたいと誓った仏の名が、「世自在王仏」という一人の仏であった。一人の仏の名であるけれども、世自在という名は、すでに法蔵菩薩が、自ら発願して起こすべき願の課題をすでに表現している。それは、世において自在であること。生きとし生けるものすべてが、いきいきと自らの人生を自在に全うしていくという世界という名のりである。その世自在王仏のもとでまず最初に法蔵菩薩が取った態度が、「国を棄て、 王を損てて、行じて沙門と作り」(聖典十頁)ということである。本当に一人ひとりが自在であるためには、先ずは、私たちが日常的に依りどころとしているような、社会や秩序を立場とすることを止める必要があると法蔵菩薩に託して親鸞聖人は説く。それは別に、世捨て人となれということを言っているのではない。それは、私たちの作っている社会や秩序は、結局は誰かの犠牲の上に成り立っているものであることを示されているのである。その根にあるものは、私たちの自我を主体とする執着心である。どこまでも自分を立てていくこころである。そのことを私たちに、自らの態度で法蔵菩薩は示しているのであると思う。
その法蔵菩薩が、誓願(本願)を建てるにあたってまずされたことが、「覩見諸仏浄土因」と言われるように、徹底して、諸仏の浄土の因を見ることであった。浄土がきれいだと結果だけを見るのではなく、その因を見られた。それが「国土人天之善悪」と言われる人間の欲望とそれによって作られる苦しみや悩みの世界を徹底的に見ることであった。
このように親鸞聖人は、阿弥陀の本願を、どこまでも人間がその欲望によってお互いを傷つけあっている現実を徹底して見据え、そのようなあり方から人間を開放するはたらきであると確かめておられたのではないだろうか。
(『ともしび』2011年9月号掲載)
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