宗祖としての親鸞聖人に遇う

真宗移民の記憶

(御手洗 隆明 教学研究所研究員)

 真宗の移民といえば、明治初期の海外移民が思い浮かぶが、江戸時代にも集団移民があった。いわゆる労働移民とは異なる、真宗の信仰と生活習慣を護り続けた人々を「真宗移民」と呼ぶ。
 最初は、天明の大飢饉と間引きの流行により荒廃した関東幕府領を、越後門徒の移住によって回復させようという合法的移民であった。北陸地方は間引きの悪習がなく、人口も多い真宗地帯であった。しかし北関東の荒廃は続き、やがて藩が禁じる非合法的移民(走り人)が始まる。親鸞旧跡寺院の稲田西念寺良水は笠間藩(茨城県)と語らい、真宗移民によって間引きを絶ち農村復興を目指した。北陸前田藩領からの移民は関東旧跡巡拝を口実にしたが、やがて発覚し頓挫する。その後、真宗移民の引受先となったのが同じく飢饉で荒廃した相馬中村藩(福島県浜通り地方)である。
 文化八年(一八一一)の入植以来、真宗移民は藩より厚遇されたが、信仰や習俗を巡って地域との摩擦は消えず、移民門徒は真宗寺院や講を中心に結束し信仰を護り続けた。以降も移民は続き、各地の真宗寺院や門徒の支援を受け相馬を目指し、約三十年間で移民数約九千人、開墾地は約三万石に達したという。
 真宗移民の尽力で復興を遂げたかにみえた相馬中村藩を天保の大飢饉が襲うが、弘化二年(一八四五)より藩民一体の一八〇年に及ぶ復興計画(報徳仕法)を実施する。この計画は明治維新で途絶えたが、真宗移民はこの時も尽力したという。
 前田藩領内では縁者から移民が出たことが発覚すれば厳罰を受ける。送り出した人々は移民を懐かしむことも許されず、真宗移民は歴史の彼方へ消えたかに見えた。しかし、移民の子孫たちは先祖が北陸出身であることを語り継いでいた。3・11直後、子孫たちは支援に駆けつけた越中門徒に、故郷を同じくする自分たちの先祖について問うたという。二百年の時を超えた再会である。
 現在、原発災害が特に深刻な福島県浜通り地方は、放射線による健康不安とともに、人口流出による地域衰退への危機感が増している。この過疎化と高齢化の加速は、実は全国でも起こっている問題である。国の農林業政策への不信感、更に地球温暖化が原因とされる近年の異常気象が地域住民の不安を煽り、郷土の荒廃が進みつつある。
 原発災害は自然界が長い時間をかけ減らした放射線量を逆戻りさせた。地球温暖化と同じく人間がもたらした人災であり、目先の政策では解決しない。私たちは、この事実を便利さを求め続けた業果と受けとめ、未来世代に害を残さぬよう、今の生活を問い直さなければならない。原発被災地と同質の問題が全国で起きている今、かつてこの地の復興に尽くした真宗移民の歴史に学びたい。時代は変わっても、復興の手がかりは真宗移民の記憶のなかに遺されているはずである。

(『ともしび』2013年6月号掲載)

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