宗祖としての親鸞聖人に遇う

露伴のなかの親鸞聖人

(藤井 祐介 教学研究所嘱託研究員)

他力に頼って自己を新にしようとするにしても、信というものは自己によって存するのであるから、即ち他力に頼る中に自力の働(はたらき)がある。自力によって自己を新にせんとするにしても、自照の智慧は実に外囲の賜物であるから、自力による中に他力の働がある。

(『努力論』改版、岩波文庫、二〇〇一年、四五頁)

 これは幸田露伴の著書『努力論』の一節である。露伴は『五重塔』などの作品によって知られた小説家だが、今日では娘の幸田文の方が有名であろう。

露伴の『努力論』は一九一二(明治四十五)年に刊行された。題名を見ると努力することを奨励しているように見えるが、露伴は「一所懸命に努力しよう」と主張しているわけではない。露伴は「人が努力するということは、人としてはなお不純である」、「努力を忘れて努力する、それが真の好いものである」

(「初刊自序」、『努力論』改版、二五頁)

と述べている。
 先の一節は親鸞聖人の御消息から着想を得て書かれたものであるが、その内容は『努力論』の基調ともかかわる。幸田露伴が参照した御消息は次のとおりである。

他力のなかには自力ともうすことはそうろうとききそうらいき。他力のなかにまた他力ともうすことはききそうらわず。他力のなかに自力ともうすことは、雑行雑修・定心念仏・散心念仏とこころにかけられてそうろうひとびとは、他力のなかの自力のひとびとなり。他力のなかにまた他力ともうすことはうけたまわりそうらわず。

(聖典五八〇頁)

 幸田露伴は、努力を自己目的化することに批判的であった。『努力論』の後半では宇宙全体を貫流する「気」について語られている。露伴は「気」の循環を説きつつ、個人と宇宙との調和した関係を描いている。『努力論』は、その題名とは無関係であるかのような内容を含んでいるのである。
 露伴の主張は当時の時代状況とも結びついている。『努力論』は日露戦争と「大正デモクラシー」との間の時期に刊行された。日本は日露戦争以後、西欧列強と肩を並べる存在になった。ひとまず「富国強兵」の理想が実現したかのように見えた時代であるが、人々の生き方も変化していく。人々の視線は、対外関係だけでなく、国内の政治的、経済的不平等に向けられる。ここに「大正デモクラシー」が幕を開ける。
 このような時代のなかで「富国強兵」の理想と表裏一体の関係にある「努力」や「立身出世」という生き方も限界に達した。夏目漱石が小説「それから」のなかで描いた「高等遊民」の姿は、「努力」や「立身出世」とは対極の生き方を体現していた。
 親鸞聖人の言葉は、「努力」や「立身出世」という生き方が限界に達した時代にあって、この時代の底を流れるものとつながっているように思われる。

(『ともしび』2014年3月号掲載)

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