宗祖としての親鸞聖人に遇う

無明煩悩しげくして

(三本 昌之 教学研究所嘱託研究員)

 高山から京都へ来る時、名古屋駅で新幹線に乗り換える。駅地下通路の壁には、JRの観光ポスターが貼ってある。そのなかに、酒蔵の白壁と傍を流れる瀬戸川、着物姿の若い女性の前に蝋燭が並ぶ、冬の飛騨市へ誘うポスターもあった。
 飛騨市にある本願寺派の大坊三か寺では、明治以降、旧暦の十一月二十七・二十八日にあたる正月十五・十六日に、門徒報恩講の「おひちゃさま」が勤まる。手次寺だけでなく、三か寺をお参りして回るので、地元では「三寺まいり」と称される。特に十五日の夜は、雪で作った大きな蝋燭に火を灯し風情がある。
 また、三寺まいりは「嫁探しの三寺まいり」とも言われてきた。明治期以降、飛騨北部の村々から、十代から二十代の女性が、乗鞍岳と御嶽の間の野麦峠を越え、信州の岡谷などへ糸引き工女として働きに出た。飛騨は真宗寺院が多く、熱心な門徒の祖父母・両親に伴われ彼女たちもおひちゃさまにお参りをした。そして、小正月が過ぎると、飛騨を発って多くは年末まで働きに出た。この間、居残る若い男性にとって、おひちゃさまは、将来の伴侶を見染める場であり機会となった。そこから「嫁探しの三寺まいり」と言われたようである。
 しかし、当時は、おひちゃさまへお参りすることが主で、嫁探しは序であった。親たちも若い衆も「御開山様」の御影前で「正信偈」を唱和し、「仏恩報謝の念仏」を称え、熱心にお説教を聴聞していた。
 飛騨市は、冬にこれという行事がなく観光客も少なくなる。それで、ここ二十数年来、商工会の“有志”が観光客誘致のため、「嫁探しの三寺まいり」の観光イベント化を図った。三か寺を“願掛け”して回ることで、恋愛が成就すると宣伝した。白壁の土蔵の横に蝋燭を立て、願いを込めた灯籠を川に流す演出がなされた。また、テレビでもたびたび紹介されることで、狙い通り観光客・若者が多く訪れるようになった。
 このイベントは、三か寺とは無関係である。本堂では、伝統の仏事おひちゃさまが、厳粛に行われている。参詣者の中心は寺役と年配者で、一緒に「正信偈」の勤めをし、熱心にお説教の聴聞が行われている。一方、イベントが目当ての観光客・若者で、本堂に上がる者は少なく、外の向拝で手を合わせ御祈りをすると、燈籠流しの瀬戸川へと移動して行く。
 このように現在の「三寺まいり」は、本来の真宗の仏事おひちゃさまと、真宗の行事を離れた現世利益の願掛けのイベントが併存している。すでに若者の多くは「三寺まいり」が真宗の祖親鸞聖人の御命日の法要・報恩講ということを知らない。
 以前、ある小学校の五年生のクラスで「クリスマスは何の日ですか?」と尋ねたところ、一人も答えられなかった。三寺まいりが、たんなる冬のロマンチックなイベントとしてだけでなく、本来の報恩講として真宗の教えとともに、若者にも伝承され認知されることを願う。

(『ともしび』2015年2月号掲載)

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