1994(平成6)年 真宗の生活 4月
<無有代者>
四月八日、今年も自坊の花まつり(お釈迦さまの降誕会)を催すことができました。
花御堂や、その傍らに、皆さんが持ち寄られた花を飾り、誕生仏に甘茶を注ぎます。日曜学校の子どもたちも来て次々と甘茶を注ぎ、掌を合わせてくれました。
花冷えのする前日、いつもお参りなさるおばあちゃんがお花を持参された。大切そうに紙包みを開かれる。「まあ、きれい」と、思わず私は声を上げた。ピンク色の、丸い花弁が幾重にも重なった椿の花が目に入る。
「今年は、三月に入ってからずーっと寒うてね。お寺の花まつりまでに何とか咲いてほしいと、毎日お花に拝んどりました。ちょうど間に合つてよかつた」と本当にうれしそうに言われる。
寒風の中、曲がった腰を伸ばしながら、手折ってくださった、そのお心を尊く拝ませていただいた。花まつりにお供えする花がちようど問に合つたことが、そんなにも大きな喜ぴなのであろうか。ご主人に先立たれ、近年またご長男に先立たれたおばあちやんである。ことに、息子さんとの別れには、「代われるなら代わつてやりたい」という思いが、何度胸を突き上げたことでしよう。
「南無阿弥陀仏」と、おばあちゃんの口からこぼれるお念仏は、その日との出遇いの重さを物語っているのではないでしようか。
お釈迦さまは、御誕生ののち、「天上天下 唯我独尊」と宣べられたという。全世界の中で一人ひとりが、かけがえのないいのちを賜つたのであり、それはまたたとえ親子でも、「無有代者」(だれも代わる者なし)といういのちの厳しさなのである、と。
代わることのできない、一人ひとりの現実の苦悩を緑として、如来の大悲はおはたらきくださるのでしよう。そのお力が、おばあちゃんの今日を花とともに歩ませておられるのではないでしようか。
『真宗の生活 1994年 4月』 「無有代者」「『同朋新聞』から」