1996真宗の生活

1996(平成8)年 真宗の生活 1月
<念仏申さるべし>

勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おおせられそうろう。「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。自力の念仏というは、念仏おおくもうして仏にまいらせ、このもうしたる功徳にて、仏のたすけたまわんずるようにおもうて、となうるなり。他力というは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあずかるなり。-」

(『蓮如上人御一代記聞書』真宗聖典854頁)

蓮如上人が、京都の山科におられた頃、近くの勧修寺村に住んでいた道徳なる聞法者が、正月元旦に上人のところへ新年の挨拶に参ったときのこと、上人はまず「道徳はいくつになつたか、念仏申さるべし」、これが蓮如上人の挨拶であったといわれています。

正月というのは、年あらたまり、気分も新たに出発しようとするときです。そのようなときに、「念仏申さるべし」とは、どのような心あってのことでしょうか。おそらく蓮如上人にあっては、念仏申すところから人生は始まる。真実の生き方がある。念仏なくば、どんなに長生きしても、ただ妄念妄想に追い回されることしかない。流転輪廻、迷いの繰り返しでしかないと。このような言葉一つにも、蓮如上人という人がどんな方であったのか、宗教的人間像の一面があらわれていると思います。

蓮如上人はこの年の三月には、すでに逝去されていますが、晩年の上人の面影を彷彿させるに十分なものがあります。

『真宗の生活 1996年 1月』「念仏申さるべし」