1996(平成8)年 真宗の生活 7月
<一宗の繁昌>
蓮如上人が吉崎の地に身をおかれたのは、文明三年(1471)七月から、文明七年(1475)の八月までのおよそ四年間である。八十五年の多難に満ちたご生涯の中で、ひときわ激動の歳月であった。
そもそも、当年より、ことのほか、加州・能登・越中、両三か国のあいだより、道俗男女、群衆をなして、この吉崎の山中に参詣せらるる面々の心中のとおり、いかがとこころもとなくそうろう。
(『御文』一帖目五通・真宗聖典765頁)
文明五年二月八日付の『御文』である。道俗男女が群衆し、二百ともいわれる多屋が軒を並べるほど繁昌をきわめたという当時の吉崎の地が彷彿と思い起こされる。
しかし、上人がなによりも憂慮されたことは、ここに参集する人ぴとの一人ひとりの信心の内実であったことが、この『御文』の一節からも拝察される。
平常は閑散として、参詣のひともまばらな寂寥としたこの地に立つと、五百有余年の歴史をこえて、蓮如上人の声が聞こえてくるようである。
一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。
(『蓮如上人御一代記聞書』真宗聖典877頁)
『真宗の生活 1996年 7月』 「一宗の繁昌」