2002(平成14)年 真宗の生活 10月 【信心】
<われと思うことは、いささかあるまじき>
日ごろ、私たちは他人を励まそうとして、「今は辛いだろうけれども、辛抱してがんばってくれ」とか、「人に負けないようがんばって勉強しようね」とかと、「がんばれ」という言葉を頻繁に使っているのではないでしょぅか。確かに、困難に立ち向かって努力するという意味で日常的に使われているようです。
しかし、ここでちょっと「がんぼれ」という言葉について考えてみたいのです。もともと「がんばれ」は「頑張れ」が変化してできた言葉といわれています。つまり、自分の思いや意見を押し通すということなのです。ややもすると、自分は正しいという思いを前提にして、他人に押しつけることになるのです。
蓮如上人のお言葉に「『仏法には無我』」と、仰せられ候う。『われ、と思うことは、いささかあるまじきことなり。われはわろし、とおもう人、なし』」(『蓮如上人御一代記聞書』・聖典87頁)とあります。
仏法に聞いていくことによって、私の思いや行いをすべて善しとしている毎日の生活が問い返されてきます。我執の我が身を照らし出してくださる、阿弥陀仏の大いなる本願他力のはたらきが、真実の信心として、いただけるのです。
『真宗の生活 2002年 10月』【信心】「われと思うことは、いささかあるまじき」