お寺に生まれ、お寺に育ったものの、僧侶になることに大きな抵抗をもっていた十八歳の冬に父親が倒れた。その後大学を終えてすぐに大谷専修学院へ行ったものの、病の父親の手前、一応住職の資格だけは取っておくべきという優柔不断な心境に変わりはなかった。
入学して二カ月ほど経った頃、私に一通の手紙が届いた。送り主は東本願寺参拝接待所からである。封を切り手紙を取り出し読んでみると「あなたのお寺のご門徒の○○さんが、参拝接待所へいらっしゃって、今年からここで修行している廣瀬という方にお茶代にでもしてほしいから渡してください、とお金を置いていかれました。参拝接待所では新任の職員と間違っておられると思い、受け取ってしまいました。しかしご自坊へ連絡してみると、今年から大谷専修学院におられるとのことなので、失礼ながら送付させていただきました」という丁寧な文章。封筒の中を見るとクシャクシャのティッシュペーパーに包まれた一万円札があった。
胸に熱いものが込み上げてきた。思わずトイレに駆け込みその一万円札を握りしめ、私は泣きじゃくってしまった。後を継ぎ住職になることを嫌がり、学院に来ても、一応資格だけは、というずるい思いで過ごしているこの私を、そんな私の帰りを待っていてくれているご門徒が居てくださっている。誰でもいいのではなく私を目当てにしてくださっているのである。きっと緊張しながら参拝接待所へ行かれたのだろうという状況を想像した時、私ははじめて「僧侶になろう」と心が決まった。
「わしひとりをめあての本願のありがたさ」という花岡大学先生のこの言葉が、今更ながら私に初心に帰りなさいと語りかけてくれているように思える。そしてこの言葉からは『歎異抄』の「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(真宗聖典六四〇頁)という言葉を連想せずにはいられない。「どんなことがあっても、どんなあなたであっても見捨てることができないと、誓ってくださった阿弥陀如来の本願は、ひとえにわたくし親鸞一人がためでありました」と、聖人はよろこばれたのだ。
「親鸞一人がため」とは、「わたしひとりが阿弥陀の本願に出遇えばいい」という、ひとりよがりな思いではない。そこには「他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけり」(真宗聖典六二九頁)という「われら」の視点が聖人にはあったのではないだろうか。共に生きるということが成り立たなければ、私ひとりが生きるということも確かなものにはならない。「われら」の世界があって、はじめて「一人」の世界が成立するのである。
学院であの手紙を読んでから二十四年経った。住職となってたくさんのご門徒に囲まれながら、今、その中で、あの一万円札を懐深くに大切な支えとして、多くの人へ開かれたお寺を模索する日々が続いている。
『今日のことば 2015年(5月)』 「わしひとりを めあての 本願の ありがたさ」
出典:『妙好人 清九郎』