【月に1度の「和讃講」】
大垣教区第5組圓長寺(岐阜県安八郡)では、11月29日と30日に勤まる報恩講に向けて毎月1度、「和讃講」という声明の練習会を行っています。かつては同教区をはじめさまざまなところに「和讃講」があったと聞きますが、今ではほとんど残っていないとか。いよいよ1カ月後に報恩講が迫った10月28日に圓長寺に伺い、その練習会の様子を見てきました。
【「和讃講」の歴史】
「和讃講」の由来は定かではありませんが、親鸞聖人が本願念仏の教えをわかりやすい言葉で、しかも五七調に整えて著した和讃を読み習い、報恩講で僧侶方と一緒に唱和する講(あつまり)を圓長寺では指しています。他宗にも「和讃講」という言葉はあり、その意味の捉え方は様々です。
圓長寺の和讃講は古くから伝統されてきたようで、当時は裃(かみしも)を着た30数名の和讃講員が外陣に座り内陣につく法中方を上回る声が堂内に響き渡っていたとのこと。約100畳の外陣が毎座満堂でひしめくほどに熱気であふれていたといいます。
しかし、昭和30年代に入って先代の時に「和讃講」は解散してしまいます。世の中が高度経済成長期に入り、講員の生活形態が変わり勤め人が増えたためにお講に参加することが難しくなったのではないかと住職の渡辺晃誠さんは話します。昭和32年10月に同寺で当時の法主を迎えて厳修された宗祖親鸞聖人七百回御遠忌が最後となりました。その後平成4(1992)年の本堂屋根瓦葺替・住職継職法要の際に一度復活したものの、しばらくは日の目を見ることはありませんでした。それが現在のような形で復活したのは、住職の幼い頃の記憶にあるお寺の原風景があったからでしょうか。
【「和讃講」の次第】
午後7時少し前になると和讃講の皆さんが会館の仏間に集まってきました。午後7時から稽古を約1時間30分行い、その後みんなでお茶を飲みながら世間話やお寺の行事の話をして9時に解散するというのがいつものパターンです。現在、和讃講員は11名。この日は全員出席で、住職と向き合って座ります。
「さあ、いよいよ報恩講まで1ヶ月ですから、がんばっていきましょう。では前回のおさらいから」
と住職。
すると候補衆徒(跡継ぎ)の渡辺竜誠さんがのびやかに伽陀の発声を始めました。それについて和讃講の皆さんが発声。ぴったりと合って非常に心地よくかつ荘厳な雰囲気に。住職はテープでその音を録音し、時折、テープを再生しながら皆でおさらいをしていきます。稽古は報恩講の次第に添って、伽陀、正信偈真四句目下、和讃(五淘)…と続きます。
【「和讃講」を続ける】
和讃講の中には解散前に講員だった人もいます。金森初義さん(81歳)は復活するときにはぜひもう一度やりたいと思っていたとのこと。稽古中は緊張感がありますが、一息つくと世間話で盛り上がります。そんなムードがチームワークを作っていくのかもしれません。
課題は次の世代にどうバトンをつなぐか。
「声明の技量に差があるから、今のメンバーに新たに加えることは難しいので、もう1チーム作るのがいいかもしれませんね」
と住職は意欲を燃やしています。