8月16日、高山別院では飛騨仏教青年会主催の「ご坊夏まつり」が開催されました。
2年前、「高山教区仏教青年同盟」はメンバーを再編成し、活動の願いを確かめ合って新たに「飛騨仏教青年会」と名乗って歩みを始めました。「飛騨」と名乗る背景は、「教区」という枠を超えた「地域(一般の方々をも含む)」という場を意識したからだそうです。飛騨仏教青年会は、御坊高山別院を中心として活動を展開していますが、そこには、飛騨地域の人々に親しまれてきた「ご坊さま」という響きの相続・宗教感情の復活という願いがありました。そこで、まずは「ご坊夏まつり」に取り組むことになりました。
【高山別院の始まりと「御回壇踊り」】
高山別院照蓮寺は、親鸞聖人の弟子である嘉念坊善俊上人が開基となって開かれました。善俊上人は、後鳥羽上皇の孫とも皇子ともいい、伊豆の三島で関東より上洛途中 の親鸞聖人の門弟となったと伝えられています。白川郷の鳩ヶ谷や飯島に道場を構え、飛騨における教化伝道に尽力されてきました。その道場がルー ツとなって現在の別院が構えられました。
そして、高山別院照蓮寺を中心として飛騨地方全域に、各地域の教化拠点として80カ所の道場がおかれ、これが 現在の高山教区の寺院となったと言われています。各々の道場は、その道場がある地域の方が、農業などを生業としながら得度して僧侶となり、兼職する形で道 場のお給仕をして護られてきそうで、地域の法務などはその僧侶が担っていました。
しかし、別院や各地域の道場が建立された当時は、現在のよ うに交通手段も発達しておらず、上洛するためには幾つもの山を命がけで越えなければならず、また兼職して生計を立てていた状況も相まって、上洛して僧侶と しての研鑽を積むことが極めて難しかったため、平常の法務では法話をすることはできなかったそうです。そこで、毎年、夏に別院の輪番が、御歴代の御影と 「御消息」をもって各地域を巡回し法話をする「御回壇」という御講が催されていました。そして、別院の門前に建つ寺院もまた、「御回壇」をはじめとする別 院の教化事業などにも協力され、飛騨全域の教化に尽力されてきた歴史があるそうです。
【別院を中心とした教化の伝統を回復したい】
また、「御回壇」は、輪番が直接に地域のご門徒へ別院の崇敬をお願いに上がる奨励の意味も兼ねていたほか、各地域の人々にとっては、年に一度の貴重な聞法 の場として受けとめられ、法話を聞くことを楽しみにされていたといわれています。そして、その貴重な聞法の場は、地域の老若男女が一同に集う地域コミュニ ティの重要な行事として位置付けられ、娯楽の要素も取り入れられていきました。その代表的なものが「御回壇踊り」す。
その「御回壇踊り」で歌われる曲の歌詞には、
踊らまいかよ中野の御坊で 千重のツツジを中にして 年に一度の回壇さまに
参らせんよな親たちじゃ 御坊へ参りゃれ 帰りにゃ寄りゃれ
後生のいわれを語り合う 盆にゃござらず 祭りにゃみえず ござれ今年のご回壇に
ふたり添えたら中野の御坊へ 後生を願いに行かまいか
と 表されています。その内容を解釈すると、「御回壇」は地域住民が一堂に会する重要な地域行事であるだけに、若い男女の出会いの場にもなっていましたが、 「御回壇」に参らせない信仰心のない親のいるところへは嫁にはやれないと読み取られ、そのような歌として表現されるほど、飛騨地方のご門徒にとって別院の 崇敬やその根底を支える「御回壇」という聞法の場が、いかに重要なものであったかを知ることができます。
現在でも、高山教区全体で別院を崇敬していこうという願いの背景には、そういった伝統を背景とした「御回壇」が継続されていることがあると言えます。
しかし、「御回壇」は現在でも伝承されている一方で、ご門徒や地域の方々の娯楽として親しまれてきた「御回壇踊り」は、時代の流れや社会状況の変化とともに途絶えてしまいました。
この踊りについては、歌詞以外、節や踊り方などを記す資料が全く残っていません、そこで、飛騨仏教青年会が調査を実施し、若いころに踊ったことがあるという旧高根村出身の八十代のご門徒さんと出会うことができました。そのご門徒の呼び掛けで御回踊りの経験者が数人集まり、曲にのせて踊りが披露されました。そこで、この残された御回壇の歌詞が、飛騨地方の盆踊りでおなじみの「飛騨やんさ」の節にぴったりと当てはまることがわかり、もしかしたら、「御回壇踊り」が「飛騨やんさ」のルーツなのではと盛り上がりました。
高山別院を中心として、教化の活動を活性化するのであれば、かつて高山教区全域で伝道教化の場を開く重要な役割を果たしてきた「御回壇踊り」を復活させ、 仏さまの教えを喜びその生活を大切にしてきた精神を伝えると共に、踊りをご縁として別院に親しんでいただく場を開いてはどうか。仏教青年会の役員の方々は、そのように考え、別院の夏まつりで「御回壇踊り」を復活させるこ とになりました。
【地域の方々や観光客にも親しんでいただける場を開く】
ご 坊夏まつりには、「御回壇踊り」や盆踊りを中心としながら、戦後70年を迎えて開かれた「非戦平和展」、飲食店ブースやゲームコーナー、3回目となる2015年から新設された「坊主bar」が境内に 立ち並び、開会前から境内に漂う食欲を駆り立てるような香ばしい匂いにつられ、既に多くの人々が集まっていました。初めての開催となった2年前には約 2000人が、あいにくの雨となった昨年(2回目)でも約800人以上の方々が境内に集まられたそうです。
また、仏教青年会の会員がバーテンダーに扮してお酒を振る舞い、足を運んでくださった方々が仏教に遇うご縁を開くことを願ってはじめられた「坊主bar」では、カウンターが設えられたテントの周辺に多くの方が集まっていました。
そ して、踊りの休憩時間に併せて、仏教青年会の会員が講師となって三座の法話をいただきました。それぞれ10分間という限られた時間ではありましたが、そのうちの一座では『盂蘭盆経』 の木蓮尊者のエピソードを紹介しながらお話をいただきました。そして、亡き人を通じて仏法に遇う機縁をいただく中で、木蓮尊者や尊者の母親のように執着に 塗れて生きる自身の姿が知らしめられ、そこに初めて「時処諸縁」を問わず如何なる時も執着を超えた真実世界へ帰せしめようとはたらかれる阿弥陀仏の「本願 のかたじけなさ」に目覚める生活が開かれていくのだとお教えくださいました。
そして、お祭りのフィナーレでは、「御回壇踊り」が披露されま した。全身に響くほどに力強い民謡の声と太鼓の音色が、境内に集まった人々を踊りの輪の中へ誘引していきます。ご門徒や地域の方々に交じって外国から観光 で来られた方々も笑顔で輪に加わり、国籍や言語の異いをも超えて繋がりあう人の交わりができあがっていました。
夜8時を過ぎても境内に溢れかえる人の数は、3000人にも迫ろうかというもので、人を繋ぐ場としての別院(お寺)の力が表れているようでした。
【ご門徒や地域の方々の協力で作り上げる】
別院をご門徒や地域の人々に親しんでいただける開かれた場としたい。そういった、仏教青年会の方々が抱いた願いと、少子高齢化によって町内単位では地域行事を運営しづらくなってきた状況も相まって、「ご坊夏まつり」を開くという形に結実していきました。地域の声なき声に耳を澄ませ、その要請に応答しようと取り組んで こられた行動力が、「ご坊夏まつり」という場を開いたことは間違いありません。事実として、高山教区の多くの方々が仏教青年会に寄せる信頼は、極めて大き いものであります。
しかし、仏教青年会の方々は、自分たちだけの力では、ここまでの取り組みにはならなかったと言います。もちろん、仏教 青年会の方々は、事前の会議や準備など、時には夜遅くに至るまで熱心に取り組んでこられました。ただ、彼らは自分たちだけで全てを運営するのではなく、ご 門徒や近隣町内、門前の商店街の方々など、様々な方々にご協力を求め、全ての人々の手によって場を開いてきたことが大きな力になっているのだと言います。
今回の「ご坊夏まつり」では、地元の中学校の吹奏楽部や飛騨高山太鼓団が演奏を披露し、高山音頭会の方々が盆踊りの中心を担っています。また、境内の飲食 ブースは、近隣町内有志の方々やご門徒が主体となって出店され、ゲームコーナーは教区の児童教化連盟が担当します。仏教青年会は、「ご坊夏まつり」全体の 総合調整を図りながら、各ブースやイベントのサポートに集中する体制を採っており、協力者の主体性を重んじつつ後方支援を積極的に担っているのです。まつりには、地元信用金庫の方々は浴衣に着替えて盆踊りに家族を連れて参加してくださるなど、自分が できる方法で積極的に協力をしてくださいます。ご協力いただいた方々は、各々の力を最大限に活かし最高のパフォーマンスを発揮するとともに、「ご坊夏まつ り」へ積極的に関わって下さっているのです。
また、広報活動についても、門前周辺の商店街各店にご協力いただいてポスター掲示をしていただいたほか、観光協会のホームページや近隣ホテルのブログでの紹介、地元FMラジオ局での宣伝など、様々な協力を仰いで広く観光客にまで届くような広報を展開しています。
自分たちだけでは作るのではなく、地域を巻き込んで“御坊・別院”という場をつくる。そんな 豊かな人の交流があるのは、地元に根付いた伝統と楽しみを紡いできた別院の歴史が底力になっているからなのかもしれません。
別院を地域に開き、人が出遇う場をつくるという目的から始まった事業が、地域に根付いて地域の人々の楽しみになるとともに、“御坊・別院”への親しみや関心をより強力なものにす ることへと繋がったことは、そういった“ご坊さま”が持つ本当の強みを掘り起こす大きなきっかけとなったのではないでしょうか。