車一台がやっと通ることのできる、細い坂道。その坂道を登りきった所に、小さなお寺があります。ここは、三重県伊賀市岩倉、伊賀盆地の北東に位置する人口650人ほどの小さな集落です。その集落のほぼ中心部に、金井山永照寺はあります。

勤行の様子
勤行の様子

金井山という山号は、この地域の産業に由来しています。岩倉という地名のとおり、集落を流れる木津川の両岸には大きな奇岩が連なり、公園が整備され、四季折々の自然を楽しめます。そして、昔より良質の花崗岩が採取され、石材業が盛んな地域でした。現在は、石工さんの数も少なくなりましたが、集落の中には石垣や石畳が多く残ります。金井山とは、韓国と日本の長野県に実在する山で、いずれも石切の山として栄えた歴史が有りました。それらの山から遠く離れた地にあるお寺の山号から、寺院建立当時の人々の思いが伝わってくるようです。

永照寺は1936(明治11)年、岩倉を襲った大火によって、門徒さんの手で火中より運び出された本尊を残し、全焼しました。しかしその後、50年もの月日をかけて、現在の堂宇が再建されます。今から20年前には、住職が不在となり、それ以来、同じ市内にあるお寺の住職が、代務を務めています。しかし寺の護持は、ご門徒の自主的な運営に任されており、掃除やお寺の修繕はもちろんのこと、聞法の道場として毎月10日に行われる十日講、修正会に始まる季節の仏事、そして報恩講には、村で採れた野菜の煮物が、お斎の膳を彩ります。

こうして、お寺の行事は、村内に見られる石垣のように、門徒さん達の手によって丁寧に積み重ねられてきました。

しかし、村にも過疎化の波は訪れます。20年前には300戸ほどあった戸数も、今では230戸ほどに減少しました。高齢化が進み、村内の行事にも影を落とすことがあります。50戸ほどの門徒戸数も毎年少しずつ減り続けており、寺を維持していくための募財、後継者の問題など、先行きは不安です。

しかし十日講に集まる門徒さん達の表情からは、そんな暗さは垣間見ることができません。

お斎の準備風景
お斎の準備風景

これまで、お寺の焼失、住職の不在といった幾多の苦難を乗り越えてきた自信からなのでしょうか。いや、門徒さん達からは、そんな気負いさえ感じられません。「当たり前のことを、当たり前のように」これまで相続されてきた法燈を、みんなで守っているのです。

岩倉の集落を歩くと、村のあちこちにお地蔵さんがあります。そしてそこには、誰がするともなく、絶えることなく季節の色花が供えられており、それが当たり前のように日常の生活や風景の中に溶け込んでいます。法燈を守るとは、ご縁をいただいた世界の中で、人や自然すべてのものと共生していくことだと、あらためて感じました。住職のいない小さな村の小さなお寺にも、お念仏は確かに息づいています。

(三重教区通信員 佐々木達宣)
『真宗 2009年(6月)』
「今月のお寺」三重教区伊賀組永照寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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