高松市から車で約30分、なだらかな山間に田園地帯が広がる香川県綾歌郡綾川町。数年前の町村合併により新しくなった町の名前は、そこに住む人々にはまだ少し馴染みにくく、「綾上町」という元々の名前に親しみを抱く人は多いかもしれない。
2006年に新築された本堂が、広々とした境内に堂々と聳え立つ本念寺を訪ねた。時間は午後7時を少し回ったところ。辺りがそろそろ薄暗くなってきた頃、本堂には灯りが点り、低く人の話し声が聞こえる。
本念寺の同朋会は曜日に関係なく、毎月22日に開かれる。開始時間は冬期は午後7時、夏期は午後7時30分。一日の仕事を終えた門徒衆が徐々に集まり、定刻には10人ほどが顔を揃える。
「もう習慣になってるんや」。門徒衆の一人はそう話す。
先代住職の時代、同朋会運動の高まりとともに始まった本念寺の同朋会は、結成されて今年で42年を迎える。2001年、還浄された先代住職の後を継いだ現住職、岡学さんは当時、同朋会を存続すべきかどうか悩んだという。それまで中学校の教員をしていた岡さんは、寺の住職としてどのように同朋会を運営していくか自信が持てなかった。そんな岡さんに、結成当時から同朋会に参加している石丸久さん(89歳)はこう言った。
「同朋会はなぁ、止めたらあかん、絶対続けにゃあかん」。その一言で岡さんは、手探りながら自分なりの同朋会を模索し始めたと話す。以来、毎月休みなく開かれる同朋会は、その時々のこと、さまざまな話題が話される。私が取材に訪れた時は、岡さんが教区の教化委員として関わっているハンセン病問題についての話題があがっていた。住職の話に静かに耳を傾け、真摯な意見がとつとつと語られる。
私はそれを聞きながら、ふと石丸さんの「同朋会はなぁ、止めたらあかん、絶対続けにゃあかん」という言葉の、その意味したものは何だったのだろうと想う。今は多くを語らない石丸さんであるが、その時の言葉は、若く、新しい住職を励ます気持ちであったかもしれない。と同時に、石丸さん自身にとって、本念寺の同朋会がとても大切なものになっているということがあったのかもしれない。寺の同朋会であるからこそ、聞き、また語ることのできるものがあるのではないだろうか。
一日の仕事を終え、夜、寺に集まり、御本尊の前で聞き、語る。日常の利害関係や損得勘定を超えた、生きる意味をたずねる場としての寺が、決して特別な場所ではなく、自分の生活になくてはならないもの、いわば“暮らしの延長”として、お念仏とともに一人ひとりの生活に根づいている。かつて寺はそのような場所として、当たり前のように存在していたのだろう。
和やかながらも心地よい緊張感に包まれた本念寺同朋会に参加して、そんなことを考えた。
(四国教区通信員 香川秀夫)
『真宗 2009年(7月)』
「今月のお寺」四国教区中讃組本念寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。
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