伝道掲示板
当たり前に思えることの
すべてが、信じられないほど素晴らしい
(難波教行)
石川県穴水町中居。七尾北湾を臨むこの町には、地域に9つもの寺院が建ち並んでいる。かつては鋳物の町として栄えていたが、大正期までに廃絶し、その名残りを「御蔵橋」といった地名に留めるのみである。現在では観光用のぼら待ち漁の櫓が、穏やかな入江を静かに見つめている。
お話を伺った西蓮寺さんは、中居の町の入り口で、古い街道の面影を残す狭い町並みの中にある。私が何度か通り過ぎた時には曽我量深師や金子大榮師の言葉を掲示してあったのだが、今回は一見しただけではよくわからない言葉が書かれていた。取材を申し込むと、副住職である悟史さんがお話を聞かせてくださった。
ご高齢の住職に代わり、施設に勤めながら法務を勤める悟史さんは、折に触れて心に残る言葉を紙に書きためておき、月に1度は貼りかえるのだが、伝えたい言葉に出会った時は、月の途中でも貼りかえることがあるという。
現在の掲示板に書かれている言葉を語られた難波教行さんは、大阪の真宗寺院に生まれ、小学生の頃から筋肉が意のままに動かなくなる難病「ジストニア」という病と共に生き、20歳で手術を受ける。ご自身でも驚くほどの回復を果たし、歩きたいという夢をかなえる。
この言葉について、「平凡に毎日を暮らすということを、私はそれが・当たり前・だと思っている。しかし難波さんの言葉は、それを・素晴らしいことだ・という。私たちのほうから見れば当たり前の世界。しかし、仏さまのほうから見ると素晴らしいものを見つけることができる、そういう世界を感じていきたい」とおっしゃった。
言葉のいわれを調べているうちに、同じ世界を生きていながら、ありきたりな生活の中に寝そべって不平不満を言っているような私自身のあり方に恥ずかしさを覚えた。
実はこの掲示板、半年ほど前にご門徒さんが、自身の米寿祝にと寄進されたものであり、以前は黒板を使用されていたとのこと。
あまり町行く人からの反響はないが、お寺のすぐ隣には郵便局があり、貼りかえるたびに集配の人が携帯電話のカメラで撮影していくという。あまり字に自信がないという悟史さんは、以前、ワープロで印字したものを掲示したところ、「心が伝わってこない」とご門徒さんからお叱りを受けたと苦笑いをされた。目立った反響はなくとも、自らの手で書いた文字は、その気持ちを確かにご門徒さんに伝えているのではないだろうか。
(能登教区通信員 藤井 良秀)
『真宗』2010年4月号
「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:
能登教区穴水組西蓮寺
(住職 不二井哲城)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。