伝道掲示板
私のものさしで問うのではない
私のものさしを問うのである
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そびえ立つ帝国ホテルを見上げるように、大阪天満のど真ん中にある明福寺は、1617(元和3)年には南御堂近辺である南久宝寺にその坊舎があった。船場の大火により現在の天満同心町に移転。その後、大阪大空襲で全焼し、戦後復興により現在の本堂が再建されたのは1979(昭和54)年のことである。
戦後まもなくから掲示伝道を行っておられ、現住職である巨津善祐氏は「今日のことば」と銘打って月に1度、多い時には2,3度言葉を書き換えられている。毎月の定例や青年会などは掲示板の言葉をテーマに法話や座談会を進めている。掲示板は言葉だけでなく、お寺を会場に開催される書道教室等の展示スペースとしても使われている。地域には民家はほとんどなく、企業のビルや商店に囲まれている、まさに街のお寺であるので、出勤するサラリーマンが足を止め、メモを取っていく姿や、時折住職を見つけては質問する方もあるという。
住職の活動は幅広く、大谷スカウトの団委員長としての活動にはじまり、年に3回は上方落語の寄席として「明福寄席」を開催。また、「街づくり・音づくり・仲間づくり」をテーマに、地域で開催される「天満音楽祭」の実行委員もつとめ、明福寺も1つの会場として提供されている。
そんな数々の活動の根本を伺ってみると、それは16年前の阪神・淡路大震災に大きな発端があると、自ら思い返すように語られる。
当時、宗派の災害活動拠点として明福寺がその役を担い、兵庫県芦屋市に向けて救援物資を運ばれていた。被災地のお寺にお米を持っていっても炊くことができず、お寺の近くにあるお弁当屋さんに五升炊きの釜でご飯を炊いてもらい、スカウトの仲間とそれを背負子んで担いで運んだ。「温かいご飯、久しぶりや」という被災者の声に、その現実をまざまざと知らされた。ボランティアの中心となったのは、被災した寺院の境内で仮設風呂を作り、被災者に入ってもらうという活動である。そこでの被災者の方々とのふれあい、またボランティアに駆けつけてきた人たちとの交流を重ねた。
「16年経って、あらためて振り返ってみるとボランティアってデッカイ仲間づくりやったなぁ」と、その広がりを噛み締めながら、震災を忘れないための活動を続けたいというその意欲は、ブレることなく真っ直ぐであった。
住職は「真宗大谷派兵庫県南部地震現地救援連絡拠点ネットワーク朋」のメンバーとしても活動されている。来年1月17日の17回忌に向けて、「ネットワーク朋」では、被災者の声を掲示伝道の言葉として、各寺院に配布する活動を企画している。1カ寺1カ寺の掲示伝道をとおして、心に刻みたい言葉が全国に広がっていくことが期待されている。年末には各寺院に届くように準備が進められていく予定とのこと。
どんな人とも繋がりあって活動を続けられている住職の幅広い話から、知らず知らずのうちに関わった人たちの心に、真宗の教えが染み込んでいくのだろうと感じた取材となった。
(大阪教区通信員 廣瀬 俊)
『真宗』 2010年10月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:大阪教区第1組明福寺(住職 巨津善祐)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。