随行教導、供奉人、道中最後の「仏事」へ。吉崎御坊から真宗本廟へ

5月2日に吉崎を発ち、御上洛の歩みを進めてきた蓮如上人御影道中の一行。その長い道のりを終え、5月9日、蓮如上人にゆかりの深い山科別院に立ち寄った後、真宗本廟に到着されました。

戻られた蓮如上人とともにお勤め

蓮如上人の御影は阿弥陀堂内にお腰伸ばしの儀の後に掲げられ、その堂内で御帰山式(ごきざんしき)が勤められました。

一行とお出迎えする内局との集合写真。

真宗本廟阿弥陀堂で御腰延ばしの儀

退堂する御影


戻られた御影の前で宗務総長による挨拶但馬弘宗務総長は挨拶で、「この御仏事である御影道中は、よき人との出遇いを通して賜る一人ひとりの信心を伝承・相続していくことで形作られてきたものであり、この連綿と繋がれてきた伝承の場に身を置かせていただいているということをあらためて感じている。こうした信心の出遇いが、また新たな信心の人の誕生する機縁となる、かけがいのない御仏事(おんぶつじ)として、御影道中が遠い未来にわたっても絶えることなく受け継がれていくことを念じたい」と、一行の御帰山を喜ぶ気持ちと御影道中を繋いでいくことの大切さを語られました。

道中が人々に伝えるもの

蓮如上人御影道中・御忌法要を合わせると計23日にわたる御仏事の終わりにあたり、御上洛の道のりを歩んだ相馬随行教導は、御下向では66の会所、御上洛では77の会所が、供奉人はじめ、道中を歩む人々をあたたかくもてなし、御仏事としての御影道中が勤まり、継承されていく尊さについて語られた。

また、相馬随行教導自身の受け止められたこととして、

「私たちは普段の生活では歩くことがなくなり、歩いても距離が短くなっていますが、実際に歩いてみれば、普段の生活では感じることのできない、五感を通してのいのちの()(よう)を体を通して見ることも聞くことができる。夏の日差しのような気温の中での空の青さ、吹く風のあたたかさ、田植えの終わった田んぼ。色んなところでいのちの息吹(いぶき)を一歩御上洛を終え、御影の前でお話される相馬随行教導一歩確かめる歩みでした。
御影道中とは五感を通して感じていく世界。歩くこと全体が生きることであり、歩くことによって人の姿、人の声、人の言葉に出遇って行ける。私たちが人間に生まれ、人間であるということの意味を教えてくれる道中でした。蓮如上人が伝えてくださったお念仏の教えを、自らの実生活の中で確認し吟味し、1人の人間として生きていく方向と態度を課題としていただきました」

と、道中の歩みを振り返りながら語られました。

道中は御仏事である、、歩んだ方の表情が物語る御輿を引いて日に焼けた供奉人の浅川さん。

こうした歩みを共に重ねた人々。とくに、御影をお運びする責任も背負いながら歩んできた宰領・供奉人の方々の表情は、吉崎を出発されたときとは違うものを感じさせました。

「歩くこと全体が生きることである」という言葉どおり、お一人お一人が出遇われた姿・声・言葉があったのかもしれません。

御仏事であった道中。歩まれた方の表情が物語る歩いてみなければわからない。
浄土真宗ドットインフォでは、今年の御影道中を振り返り、来年こそはこの御影道中に加わりたい!という方にお役立ていただけるような情報を、引き続き掲載していきます。来年の第345回を迎える御仏事への参加をご検討の方、ぜひご覧ください。