被災地から聞こえる声
(御手洗 隆明 教学研究所研究員)
東日本大震災の七回忌にあたる本年の十月十三・十四日の両日、福島県中通りにある郡山市で公益財団法人全日本仏教会と福島県仏教会による、震災復興をテーマに掲げた二つの行事がおこなわれた。中通り地方は避難区域になってはいないが、原発事故による災害の影響を受け、各地で除染が続けられた。今も避難区域が残る浜通りとは違い、原発が間近に感じられる地域ではないが、原発から安全な距離にあるわけでもない。
十三日の「財団創立六〇周年記念式典」の記念講演で、演者の臨済宗福聚寺住職で三春町の玄侑宗久氏は、翌日の法要会場が郡山市で最後まで残った避難所であることを紹介した。そして震災発生時のテレビ報道が、遺体も被災者の泣き顔も報じなかったと振り返った。演者には今になっても言葉にできない光景があるのかもしれないと、私も当時の記憶をたどった。
演題は「無常と『あはれ』」であった。この「あはれ」からは宗祖親鸞が書簡で語った「老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ」(聖典六〇三頁)を思い起こす。「あはれ」には「哀」、哀しみとも読める文字を当てることができる。市内は一見震災の爪痕が消えたように見えるが、当時を知る人々の言葉にはうかがい知ることのできない哀しみがある。そこには、震災から六年半を過ぎても消えることのない痛みがあることを感じる。
翌十四日の「第四四回全日本仏教徒会議福島大会」では、復興祈念法要が勤められた。後の主催者挨拶で、大会実行委員長であり大谷派道因寺住職の石田宏壽氏は、福島県内に二万人弱の避難者がいること、会場の隣に多くの仮設住宅があることを紹介した。ここは双葉郡被災者のための仮設住宅であった。玄関先に置かれた、屋根より高く伸びた植木の持ち主はどのような思いで育てていたのであろうか。震災と原発災害により故郷を追われた人々の仮住まいとはいえ、そこに垣間見える六年半の営みが哀しみを伴って伝わってくる。
すでに多くが復興住宅などへ転居し空室が目立ったが、残っている人々もいた。被災者数は災害の大きさを物語るが、それぞれの人生があることまでは教えない。双葉郡は避難解除が進み、十月二十一日にはJR常磐線が富岡駅まで復旧した。しかし、帰還する人は多くなく、地元寺院から離檀する門信徒が少なくないという。懸念されていたことが現実となりつつある今、現地の人々にとって寺院は拠り所となっているのだろうか。
この二日間を通して語り続けられたのは「決して忘れない」という言葉であった。私にはそれが「忘れるな」という呼びかけに聞こえた。
災害は必ず起こりうる。“Please don’t forget”(忘れないでください)には「銘記すべき」の意味もある。この六年半のことを心に刻み、間もなく起こりうる災害に備えなさいと。未だ被災地と呼ばれる、冬の気配を感じる東北の地から、忘れようもない声が聞こえてくる。
(『ともしび』2017年12月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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