<奥羽教区秋田県北組善勝寺住職 今井 典夫>
―奥羽教区教学研究室は四月十四日、台湾楽生院を訪問し、参加された今井典夫さんに訪問記を執筆していただきました。台湾のハンセン病問題のいまをお伝えいたします。
出来立ての小籠包のような、真新しい地下鉄駅に到着したのは四月十四日だった。我々奥羽教区の十名を出口で待ち受けていたのは、赤い古びた電動三輪車に乗ったさんであった。その流暢な日本語に引きつられ、すぐ親近感をおぼえた。まもなく、通訳として楽生院で支援活動を続けている宗田昌人さんも車で到着した。八階建ての新病棟(楽生療養院)が前方に見え、右手には工事用のバリケードが続き、騒音と巨大なクレーン車の長く伸びたジブ(クレーンの腕)も見える。一目で、それが地下鉄車両基地建設工事だとわかった。またそれは、国の発展、国民のためという名目で施行される行政の力を誇示しているようにも映った。
そんな政策に抵抗を続け、立ち退きを拒む入所者が住む何棟かのプレハブの建物がやがて目に入ってきた。台湾楽生院である。住まいの前には、お構いなく洗濯物が干され通路を狭めている。ここは長年住み慣れた居住区から強制退去させられた入所者たちの居住区となっている。入所者は突然の訪問者を気にする風もなく、飾り気を感じさせない。生活は不便なように見えるが、新病棟での生活よりも、ここが気の休まる居場所となっているようだ。
次に目と鼻ほどの距離にある新病棟へ移動する。地域の市民も利用する病院となっているので、特にハンセン病の施設といった感じはなかった。しかし、楽生院の入所者にとって新病棟での生活を選択することは、便利と健康面の安心とを引き換えに、二度目の隔離を受け入れることでもあるのだろう。病院を抜けていくと、植民地時代の病棟が木々の生い茂る中に見え隠れて点在している。あたりは市街地の喧騒を離れ静かさに包まれている。古い建物が多く、中には統治時代の名残を止めたまま放置され廃墟と化している物もあり、当時の入所者の生活をかすかに垣間見る思いがする。少し広い高台に出ると棲蓮精舎と云う名の、中華様式の赤い鮮やかな色彩を放つ柱のお寺があらわれた。眼下には台北市内が眺望できる。
「昔はここから(真宗大谷派の)台北別院の屋根が見えたのですよ、とても立派なお寺でしたよ」
と聞く。火災により再度建て直された別院も今は無い。寺の中で出会ったある老人は、若いとき日本人僧侶から阿弥陀仏や浄土についての話を聞いたことがあるそうだ。かつては大谷派の僧侶もここに来ていたことを窺わせる話である。昼食は台湾大学のボランティアの学生(ほとんど女性)がセットしてくれ、楽生保留自救会の方々と食卓を囲んだ。美味しい台湾料理の数々に刺身も付き、何度もビールをついでもらい、ついほろ酔いと成ってしまった。後でこの部屋の窓の下にも亀裂が走っていることを知り、工事の影響を肌でふれた思いがした。食後はさらに高台に向かい、新しく出来た納骨堂で間衣に着替え、一同勤行をした。また園内を見学し、戻って楽生保留運動、走山危機についての取り組みについて台湾大学のさんから説明を聞く。二〇〇一年、国家重大建設と銘打たれ、地下鉄建設工事が着手され、楽生院は強制移転通告を受ける。二〇〇四年、学生たちが楽生院を文化財として残し、入所者が住み続けられるようにと市民レベルの運動を立ち上げた。二〇〇五年に自治組織楽生保留自救会が成立されるも、全く入所者の声は聞き入れられて来なかった。工事が継続される中、二〇一〇年、走山現象が発生する。これは地面を深く掘削したことにより、その分断された両側の斜面が地すべりを起こし崩れたり、地下水が湧き出たりする現象だという。その対策としてを斜面に打ち込んでいるものの、九十ヵ所ほどの亀裂が見られ、安全効果はさほど期待できないようだ。
有るものがは、石をもて水に投ぐるが如し。しきの訴は、水をもて石に投ぐるに似たり。
(「十七条憲法」・『真宗聖典』九六四頁)
この言葉は、時代と国を超え常に弱き者が嚙みしめてきた。そして今、学生たちはその現実に直面している。行政は粛々と工事を進めて行くだろう。だが、これに対抗する学生ボランティアの活動が、一筋の光となって楽生院に差し込んでいる希望と救いの手といえるだろう。質疑応答の後は、お茶を飲みながら各自持ち寄ったお菓子などを出し合い、交流会となった。楽生院からは、記念に絵はがきやノートをいただいた。
《ことば》
こころのハンセン病
人間回復の「ハンセン病国賠訴訟」が始まり、全国で原告を募る動きが起こった時、「世話になっている国」を訴えることに躊躇している中で、意を決して原告に名乗りを挙げた回復者の一人が「自分たちはこころまでハンセン病になっていたんだ」と私に吐露された。
「強制隔離、堕胎・断種、社会の全体重で人間的尊厳を潰されても、それでも人間であったハンセン病回復者。実名で原告に名乗り出る決意をしたことで、社会的くびきから自分を取り戻そうとしたことば」だと思った。どんな病気でも「身よりやまいをする」(『真宗聖典』五七三頁)もので、「こころまで病いする」ことはない。どのような病も環境によって身に起こるものであり、決して「こころ」に起こることではない。「こころのハンセン病」に追い込んでいった「社会的くびき」をつくった者たち、それを支えていった者たち、私たちこそ「こころよりやまいをするひと」(同)、だということを気付かされることでした。
(聞法道場・ 知花 昌一)
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2015年8月号より
お詫びと訂正
先月号本連載に文章の誤りがありましたので、以下のとおり訂正し、お詫びをいたします。
(誤)「響」「星塚敬愛園に暮らす飯田なほ子さん」
(正)「響」「菊池恵楓園に暮らす飯田なほ子さん」
私たちの歩み、そこには人がいる
―らい予防法廃止、謝罪声明から20年―
このたび、「第10回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」を姫路船場別院本徳寺をメイン会場として、山陽教区の方々とともに開催いたします。
私たちは1996年に「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を表明して以来、人間の尊厳を奪ってきた教団の歴史に向き合い、ハンセン病回復者との交流の中で、人間回復への願いと動きに学んできました。そして気づかされたことは、そこに問題があるのではなく、まず人がいるということでした。そこに人がいるという想像力を失った時、私たちはどんなことでもしてしまうのです。戦争、原発、ヘイトスピーチ等。もう同じ過ちを繰り返したくはありません。
私たちは20年の交流の中で「ともに」という関係を本当に築いてこられたのでしょうか。この「ともに」という言葉にかけられた願いをもう一度確かめたいと思います。20年の節目の年に、謝罪声明から始まったこの歩みを、謝罪だけで終わらせない。今ここから、再び歩み始める契機となることを願って開催いたします。
【開催期間】 2016年4月19日(火)~21日(木)
【会 場】 姫路船場別院本徳寺、国立療養所長島愛生園、国立療養所邑久光明園、
姫路キヤッスルグランヴィリオホテル
【募集人数】 300人