当事者を生きる─④
「ハンセン病家族訴訟」・・・原告の声に聞く

<解放運動推進本部本部委員 蓑輪 秀一>

 第十回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会での德田靖之弁護士の問いかけを受けた「当事者を生きる」というテーマのもと、二〇一六年十二月号から六回にわたって、さまざまな立場でハンセン病問題に関わっておられる方々にご執筆いただいています。
(解放運動推進本部)

 

100年の被害

 二〇一六年春に提訴された「ハンセン病家族訴訟」が現在進行中のなか、熊本地裁で行われた昨年十月十四日の第一回と十二月二十六日の第二回の裁判を傍聴する機会を得ました。この裁判は、国のハンセン病隔離政策の遂行により、社会生活全般にわたる人権上の制限、差別を受けたハンセン病患者らの家族が原告となり、その被害を問う国家賠償請求訴訟です。
 その経緯は、二〇〇一年の「ハンセン病違憲国賠訴訟」勝訴判決後の「遺族訴訟」、そして二〇〇三年、遺族や家族からなる「れんげ草の会」の設立から始まります。れんげ草の会は遺族・家族の誰にも言えない思いや被害を語る唯一の場となり、二〇〇五年の第一回ハンセン病市民学会(熊本)において家族部会が設立され、その動きは二〇一六年一月、家族訴訟原告団の結成へと繋がります。国賠訴訟判決から十五年もの月日を経て、家族の被害を国に問う裁判がようやく提訴されたのです。そのことは一九〇七年に成立した法律によって開始されたハンセン病隔離政策の被害の深刻さをものがたり、百年以上経った社会の中で、偏見や差別が今でも続いていることを意味します。
 

20年目の「謝罪声明」

 この裁判は、ハンセン病と大谷派、そして私自身の関わりを今一度確かめる機会となりました。一九九六年の「らい予防法」廃止にともない出された大谷派の「謝罪声明」では、教団の九十年におよぶ隔離政策と療養所との関わりの中で、時代社会におけるその法律による人権侵害を見抜けなかったこと、隔離政策を支える社会意識を助長したこと、療養所の中で隔離に宗教的意味を与えたことを患者やその家族、親族に謝罪しました。そして念仏の教えが人間回復・解放の力となり得るような教化を継続して課題としていくことを社会に表明しました。声明から二十年が過ぎた今、その「謝罪声明」の意味を忘れてはいないかと「家族裁判」は私に突きつけています。大谷派では「ハンセン病問題に関する懇談会」が全国規模で組織され、様々な活動を積み重ねてきました。そこで私も多くの回復者の方々と出会い、多くの声にふれることができました。しかし「家族裁判」により、その出会った方々の背後に、思いを閉じ込めたままの人々が未だ大勢いるという現実を、「ハンセン病問題は終わっていない」と言いながらも忘れてしまっていたことに気付かされました。
 

昨日も今日も…

 「国に被害を認めさせたい。差別や偏見による家族の被害や苦しみは過去ではなく、昨日も今日もあることをわかってほしい」。熊本で出会った原告の言葉に、私が今生きている同じ時間の「昨日も今日も」だったのだと思い知りました。国の「家族の被害はなかった。被害は立証されていない」という立場に対し、弁護団共同代表の德田靖之弁護士は、国の態度を許さないとともに、家族の一人ひとりが被害を語り尽くす法廷にしたい。「家族裁判」は市民一人ひとりが問われていて、患者・家族の受けた被害を知ったあなたはどう受け止めるのか、どう生きようとするのか、どう活かすのか。同情や理解の促進ではない、原告の「怒り」に向き合い、共有し、国を問う裁判だと表現されました。今、私たち念仏者は自己の中で沈黙してしまうのか、それとも自己のみならず、自己が作り出す社会の理不尽さを批判する勇気を持てるのかが問われています。
 

110年目の責任

 「謝罪声明」にもあるように、隔離政策は「病そのものとは別の、もう一つの苦しみ」を今も患者やその家族にもたらしています。それは療養所の内と外(地域社会)で、国に協力し隔離を前提とした教団の布教・教化によって生み出された社会の偏見や差別による被害です。その責任をあらためて問い、それが現代の社会に開かれ、活きたものに展開できるのかどうか、「家族裁判」は、その機会を私たちに与えられているものだと思います。現在、原告は五百六十八名。一人ひとり「個別」の被害や苦しみ、悲しみ、怒りを背負っています。さらには原告になれず、またそのことさえ声に出せない数多くの家族がいます。今後、原告・弁護団を中心に傍聴支援、署名活動・カンパなどの具体的な活動がなされていきます。私たち市民の一人ひとりがよく考え、より多くの人にこの問題を知ってもらうことが求められています。
 
家族訴訟報告集会(2016年12月26日、KKRホテル熊本)

 

《ことば》
「また差別の目にさらされないか‥」

 沖縄の地元紙で入所者の高齢化と将来構想、療養所の地域への開放を取り上げた記事の中でハッとさせられた言葉がある。
 「また差別の目にさらされないか‥」「できれば、そっとしてほしい」など当事者の心の不安の声である。この言葉から、よかれと思い取り組んできた自分自身が、大切なことを見落していることに気付かされた。
 国のハンセン病隔離政策というあやまちにより、たくさんの人々が、親兄弟から引き裂かれた過去の現実。現在も、回復者の人々へ多くの課題がのしかかっている事実。二〇〇一年にハンセン病国賠訴訟で勝訴することはできたが、それですべてが解決したわけではなく、根深く残った偏見と差別。
 入所者が抱える大きな社会との壁、それをどう切り開いてゆき、入所者の方々と本当の解放の道を一緒に進むことができるのか。自分が問われる身として、入所者、退所者、その家族の方々と共にどう解放されていくのか。まず、私たち一人ひとりが責任ある問題として理解する事が大事だ。これからも慚愧をもって取り組んでいけたらと思います。
(「ハンセン懇」第六連絡会・具志堅優己)

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2017年3月号より