各園における真宗同朋会の歴史 国立療養所大島青松園
宗派を超えたつながりの中で
─大島青松園真宗同朋会の歴史に学ぶ④

<ハンセン病問題に関する懇談会第四連絡会・四国教区 岡  学>

  希望とは別な生活に生き
  同行の一人かけたるお取越し
  仏門にある身ゲーテ読みふける
 
真宗同朋会の導師であった桂真隆氏  一九四九(昭和二十四)年プロミンによる治療が始まった年に、大島青松園真宗同朋会の導師であった桂真隆氏が詠まれたものです。プロミン治療によって多くの方々が希望を持たれた時期に、「それで本当に希望が持てるのか」とおっしゃられているように感じました。
 桂氏は、山口県出身で一九八九(平成元)年に亡くなられるまで、朝夕のお参りや、また外部の僧侶が来られない時の法要の先導をされました。早くから後遺症を患っておられたにも関わらず、大切な法要の時は井戸の水で身体を洗い、ご自分の足に合う特製の足袋を履いてお勤めされたそうです。
 

大切にしてきたお念仏の場

 大島青松園は、一九〇九(明治四十二)年、府県連合第四療養所として設立されました。開所当初は、各宗派合同で高松の真宗興正派寺院から僧侶を迎え、追弔法要や合同葬が営まれていました。その後、会員が増えるにつれ宗教団体結成への気運が高まり、一九一五(大正四)年頃、高松の興正派願船寺住職・神谷浄因氏の働きかけもあって、『真宗同朋会』と命名されました。
 一九一八(大正七)年には、御本尊が下付されたことにより園内の礼拝に安置され、お寺が建立されるまで会員の集う場でした。浄因氏は、一九三八(昭和十三)年に亡くなる直前まで足繁く来園されたようです。孫娘の神谷順子氏によると「祖父は、旧大川郡長尾町のお寺から養子に来て、晩年は高松別院の輪番もしました。毎月のように大島に行っていました。結果的に隔離政策に加担したのでしょうが、私にとっては思い出の多い祖父です」と話してくれました。
 浄因氏が亡くなられてからは、ご子息の神谷知建氏が引継がれました。現在も、さぬき市(旧大川郡)仏教会として真宗と真言宗が合同でお参りをされているのは、浄因氏の願いが今も受け継がれているのだと想像しています。
 大谷派においては、山陽教区の赤松圓成氏が一九四〇(昭和十五)年頃より三十年にわたって来園され、その度に園内のラジオ放送で法話をされました。一九七〇(昭和四十五)年、赤松氏が長島愛生園で急逝された後、会員から大谷派に対して布教使派遣の要請がなされましたが、実現されなかったようです。
※礼拝堂─各宗教団体で時間割して使用した。現在の厚生会館辺りにあった最初の大島会館だが、西側に新会館ができ礼拝堂に変更した。
 

お寺の建立

 青松園のお寺は、一九六五(昭和四十)年に建立されました。真宗以外の主な宗教団体は、一九三五(昭和十)年までに会堂を現在の地に設立されていましたが、真宗だけが礼拝堂をお参りの場として使っていました。
 真宗のお寺を建立する気運は、一九五二(昭和二十七)年頃、会員の請願により浄土真宗本願寺派(西本願寺)から布教使の高松市教法寺住職・松下了雄氏が来園されるようになったことが大きな機縁であったと思われます。松下氏は、四十年以上の長きにわたって精力的に同朋会と関わられました。お寺の建設はもとより、その後も本山参拝、県内観光などに会員の方々を誘われるなどされました。当時、なかなか受け入れ場所のなかった食事会場として、ご自坊で家族総出の接待をしたことを、後を引継がれた孫の了宗氏からお聞きしました。
 松下氏と会員の方々との相談の中から、西本願寺に援助をいただき、お寺を建設しようということになったものと想像します。一九五七(昭和三十二)年九月に会員による手作業で敷地の整備作業が行われましたが、宗祖親鸞聖人の七百回御遠忌を目前に控え、お願いしていた西本願寺からの資金が調達できず、建設委員会が発足したのは整地から七年経った一九六四(昭和三十九)年五月でした。この間の状況については、建設委員長の山田武義氏による詳細な記録が残っています。
 年を越えた一九六五年二月六日に起工式、その二十日に上棟式を迎え、五月八日に礼拝堂のご本尊を新築のお寺に移しました。そして五月二十八日に落慶法要が厳修されました。会館建立直後の「日誌」に、山田氏は次の歌を記されています。
 
 またとなき 今日のひと日を大切に
  南無阿弥陀仏称え奉らん
 指のきず くる日くる日も治療室
  心の傷は 何でいやさん
 

大谷派の謝罪声明を機縁として
大島青松園での宗祖750回御遠忌お待ち受け法要
(2010年4月19日)

 一九九七(平成九)年五月、大谷派の高松市真行寺坊守・藤井恭子氏ら六名が、かつて大谷派が国の隔離政策に無批判に協力したことに対する謝罪声明を表明したことと、今後の交流のお願いに園を訪問されました。そして翌年、京都での第一回の「真宗大谷派・全国ハンセン病療養所交流集会」に青松園より数名の方が参加されたのを機に、毎月二十七日のお参りにお邪魔するようになりました。
 「また来ると言って、本当に来た人はいない。そんな交流なら結構です」と、自治会の方から言われた最初の言葉が、藤井恭子さんをはじめ私たちの原動力になっています。
 同朋会の会員は現在十五名です。二〇一〇年の宗祖七百五十回御遠忌のお待ち受け法要で帰敬式を受けられた十五名の方も、今では十名になりました。
 お一人おひとりからしっかりお話を聞きながら、そして亡くなられた方々の願いに思いを馳せ、これからも交流を続けていきたいと思います。この原稿を執筆した今日は、八月八日。桂真隆氏の御命日でした
 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2017年10月号より