ハンセン病問題に取り組んできた
大谷派の歴史を振り返り、
課題を共有するため、
ハンセン病問題に関する懇談会委員から報告いたします。
問われていること
<ハンセン病問題に関する懇談会委員・沖縄開教本部 長谷 暢>
「九百万人の観光客が沖縄に来ても、一向に変わらない現実があるのは、多くの日本人が、この沖縄の問題・痛みを自分のものとしていないからだ」
「ハンセン病市民学会」のポスター
今年五月、沖縄で開催された「ハンセン病市民学会」で登壇者の一人が発した言葉である。今回の集会のテーマは「みるくかてぃ〜差別に屈しない」で、在沖縄米軍基地の過重負担に象徴される沖縄差別とハンセン病問題を並べて議論することであった。沖縄の言葉「みるく」は弥勒菩薩のことで、今回は「戦争や差別のない、平和で、平等な豊かな世界」と注釈された。サブテーマの「差別に屈しない」には、ハンセン病回復者や家族への差別のみならず、沖縄に対する構造的差別を含んでいる。この二つには類似性と相違点があり、そこに「当事者とは」という課題が浮き彫りになっている。
まず類似点について端的に語ったのはハンセン病と在沖縄米軍基地の訴訟の両方に長年関わっておられる神谷誠人弁護士である。「共通しているのは、国民の安全に対する脅威、不安を煽って、社会的少数者の方たちに特別の負担、犠牲を強いている」「そこには安全という利益を享受する大多数の者と犠牲のみを強いられる少数の方々がおり、明確な区別があります。そしてその立場は決して入れ替わることがありません。そこにはまさしく構造的な差別がある」。
ハンセン病問題において煽られた脅威と不安とは、「国辱」や「感染力の強い病気」であった。これを流布し、終生・絶対・強制隔離政策を「予防」という名のもとに推し進めてきた。また強いられた「特別な負担・犠牲」については本誌で幾度も取り上げられてきた。たとえば本人の意思が尊重されることなく隔離され、子孫を残すことができず、本名を名乗ることもできない、故郷が奪われるなど、人生のあらゆる場面が奪われた。
一方沖縄の基地問題では、尖閣列島の問題や北朝鮮の脅威を挙げて、日本の領土と安全が脅かされていると不安が煽られている。そして新たな米軍基地建設を拒否する沖縄の声は無視され、新基地建設が強行されている。「特別な負担・犠牲」というのは戦後ずっと占拠し続ける米軍基地から発生する爆音や落下物などの被害や多発する婦女暴行事件など、基地あるが故の被害である。過去の戦争においても日本の防波堤として捨石とされ、沖縄戦では二十数万もの人々がその人生を奪われた。
大多数の日本人が安全と安心を享受する一方で、不満のある被害者には「恩恵」や「意味」を与え差別を覆い隠してきた。かつてこれに加担したのが真宗大谷派であった。その特徴をよく表している暁烏敏の「入園者の行くべき道」と題された有名な一文である。「皆さんが静かにこゝにをらるゝことがそのまゝ沢山の人を助けることになり、国家のためになります。だから皆さんが病気と戦うてそれを超越してゆかれることは、兵隊さんが戦場に働いてをるのと変らぬ報国尽忠のつとめを果すことになるのであります」(『愛生』一九三四[昭和九]年通巻六号)。このようなあり方を一九九五年に大谷派は、「隔離政策を支える「教化」であった」と謝罪している。
一方、現在の沖縄の米軍基地の問題、特に辺野古新基地建設を強行する政府に対し、県知事を筆頭に反対する県民にどのような言葉が投げつけられているのか。「沖縄は基地があって経済的援助があるから豊かなのだ」という誤解が拡散されている。そして「基地を受け入れることが国防のためなのに沖縄は駄々をこねている」などと非難する声まである。暁烏の話になぞらえれば、「沖縄の皆さんが静かに基地を受け入れることがそのままたくさんの人を助けることになり、国家のためになります」。こう言っているように聞こえてならない。
もう一つの点、相違点について德田靖之弁護士(ハンセン病家族訴訟弁護団)が指摘している。「法廷で争うという場合に大きな相違点があります。ハンセン病問題は過去の政策の過ちを問う問題です。ですから裁判所は比較的自由に憲法判断等を行うこともできます。ところが沖縄基地問題は現在進行している国策を正面から阻止しようとする。つまり裁判所は真っ向から国と対決しなければいけない課題として受けとるわけで、最初から裁判所の腰が引けてしまう」。
「腰が引けてしまう」のは裁判所ばかりではない。かつてハンセン病隔離政策が国策として現在進行形で推し進められていた時、大谷派は国と意見を対立させることなく、逆に協力するという過ちを犯した。
再び神谷弁護士の発言を紹介したい。「私たちは知らず知らずのうちに差別構造を維持する側に立たされているということを自覚する必要があるのではないでしょうか。無視、無知あるいは黙認というのがこの構造をずっと継続する力になっていることに気付くべきだと思います」。
私たちの「教化」が「隔離政策」を支えた「質」から完全に脱却しなければ、「米軍基地の沖縄への押し付け」を支え、継続する力になってしまうのではないか。「ハンセン病問題」と「沖縄の基地問題」の共通点は、この二つの問題から私たちの信心が問われていることではないだろうか。
《ことば》
「ここは、わしらが作ったんだ」
杉浦仁さん(駿河療養所真宗講)
岡崎教区では、駿河療養所の「真宗講」に毎月、法話をする講師と僧侶、門徒がお邪魔させていただいています。勤行・法話の後、お茶を飲みながら懇談会をします。
ご縁をいただいて、ここ六年参加させていただいています。始めは、入所者の方に、ご苦労されたことや辛かったことを聞かせていただこうといった気持ちが強かったのですが、「入所した頃は、ここは何もなくて、私たちが開墾して畑を作り、植林して山を作り、建物さえ作った」という話を、何度も懐かしそうにされます。その姿は、懐かしいだけでなく、自分の生きてきた人生に、誇りを持っていると感じられました。
杉浦さんに対して、私は尊敬ではなく、苦労話を聞いて同情しようとしていたのです。
「毎日、法衣を着て、合掌し念仏申しながら、あなたはご門徒さんやご縁をいただいた方々に対して、敬意を持って接していますか」と、問われた気がしました。
(岡崎教区 大島文昭)
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2018年10月号より