-京都教区の大谷大学卒業生が中心となって結成された「京都大谷クラブ」では、1956(昭和31)年から月1回、『すばる』という機関誌が発行されています。京都市内外のご門徒にも届けられ、月忌参りなどで仏法を語り合うきっかけや、話題となるコラムを掲載。その『すばる』での連載のひとつである「真宗人物伝」を、京都大谷クラブのご協力のもと、読みものとして紹介していきます。近世から近代にかけて真宗の教えに生きた様々な僧侶や門徒などを紹介する「人物伝」を、ぜひご覧ください!

真宗人物伝

〈17〉香月院深励
(『すばる』738号、2017年101月号)

香月院深励師似影(永臨寺所蔵)

  香月院深励師似影(永臨寺所蔵)

1、学寮教学の大成者

近世の東本願寺教団における僧侶養成機関である学寮の第5代講師に数えられる(こう)(がつ)(いん)(じん)(れい師(1749~1817)は、越前国坂井郡蓑浦(福井市蓑町)の碧雲寺(のちに大行寺と改称)で生まれ、同国坂井郡金津(福井県あわら市)の永臨寺へ養子として入寺し、のち同寺の住職となった僧侶です。

 

香月院師は京都の学寮で講義を行う一方、学寮講者であった時期においても、毎年12月半ばから2月半ばまで、住職をつとめる永臨寺へ下り、往復の行路、そして自坊滞在中も、自坊のみならず西本願寺末寺や門徒宅にて法話・法談を活発に行いました。このように、民衆教化にも積極的に取り組んでいたのです。

 

香月院師のもとには「(すい)(てん)(けっ)(しゃ)」という、41ヵ国にのぼる諸国から1264名の門弟が参集して構成された社中がありました。

 

一方で、真宗の異端的信仰である異安心や俗人による教化活動など、教学・教化をめぐる問題が生じた場合、その対処に苦慮しつつ、学寮講者として熱心に対処しました。

 

しだいに高倉学寮とその学寮講者に、宗門における教学・教化の体制が一元化されていきますが、そのような高倉学寮を中核とした安定的な学問の体制は、この香月院師の時代に大成されたのでした。

 

2、語り継がれた功績

このような香月院師の功績は、近代になっても偉大な先学として語り継がれていきます。

 

明治期、香月院師の講録や語録が、数多く出版されました。和田龍道(龍造カ)・今津紹柱共編の『香月院語録』が、明治41年(1908)8月25日付で、法藏館(京都)から刊行されています。編者和田による序の冒頭では、香月院師について、宗教界を代表する人物と位置づけ、多くの人々を教え育てた僧侶であった、と評しています。前述したように、実際に数多くの門弟のいた香月院師の姿が伝えられていると分かります。

 

大谷派本願寺寺務所内の仏教学会によって刊行された雑誌『布教界』の、香月院師100回忌にあたる大正5年(1916)7月の号で、香月院師の特集が組まれ、大谷派の機関誌である『宗報』大正5年6月号に「香月院号」として広告されました。

 

「近代教学」の代表と位置づけられ、浩々洞の要人でもあった曽我量深(1875~1971)や金子大榮(1881~1976)も、香月院師の学恩をうけています。

 

昭和17年(1942)の安居本講で『歎異抄』を講じた際に曽我は、『歎異抄』に関する重要な研究者として、香月院師とその弟子である(みょう)(おん)(いん)(りょう)(しょう)師(1788~1842)をあげ、両者の研究に敬意を表した上で、自身の『歎異抄』に関する研究を深めて、新たな論理を展開しています。

 

昭和18年(1943)1月3日、大谷大学教授の職にあった金子は、香月院遺徳顕彰の記念に「香月院と高倉学風」と題して執筆しました。そこで金子は、学寮講者を代表する学徳の優れた存在として香月院師を認識し、その学風を精神的に継承しようと執筆したものとしています。そして「忠実に句面の如く聖教を解釈」した香月院師の学問方針が、「末学に取りての大なる指針となれるもの」であると評しています。このように、香月院師に代表される学寮教学の伝統の中に、自らの学問があると確かめられているのです。

 

平成29年(2017)年5月21日、永臨寺において、香月院師の200回御遠忌法要が営まれ、その遺徳を偲び、功績が改めて顕彰されました。現代の私達が真宗の教えを学ぶにあたり、香月院師の功績によって導かれている点は、計り知れないものがあるのではないでしょうか。

 

参考文献

松金直美「僧侶の教養形成―学問と蔵書の継承―」(『書物・メディアと社会』シリーズ日本人と宗教―近世から近代へ第5巻、春秋社、2015年)

松金直美「近代における「伝統宗学」史観」(教学研究所編『教化研究』第161号、真宗大谷派宗務所、2017年)

 

■執筆者

松金 直美(まつかね なおみ)