「称賛の落とし穴――中村久子氏に学ぶ」
(難波 教行 教学研究所研究員)
幼い頃の病により手足の切断を余儀なくされた一人の女性、中村久子(一八九七~一九六八)。明治に生まれた中村氏は、障害者を排斥するような空気の中で、学校にも行けず、生活のために見世物小屋で働いたり、血のにじむような努力の末、口で人形の着物を縫い上げたりと、七十二年の生涯を断片的に聞くだけでも、大変なご苦労をされ生きられたことが知られる。氏は、いくどか真宗大谷派発行の『同朋』へ寄稿するほどに、親鸞聖人の教えに親しまれた。そして、手足なき身を受容した人として、その人生や言葉がたびたび称賛されてきた。
中村氏の言葉に接すると、たしかに自らの境遇を肯定的に受け止めている言葉に目がとまる。
こうした言葉から、中村氏は、親鸞聖人の教えとの邂逅を経て、手足なき身を受け入れていたとも了解される。
しかし一方で、中村氏は次の言葉も残している。
中村氏は、手足の無いことをあきらめきったわけでも、受容しきったわけでもない。むしろ、「因縁だから」「業だから」と理由をつけて、あきらめさせようとする声が聞こえてくる中、親鸞聖人の教えを通して、「あきらめきれない自己」が照らし出されたのではないか。
にもかかわらず、現代に生きる私たちが、最初に挙げたような言葉だけを持ち出し、「あの人は信仰によって苦難の現実を受容した」と称賛すればどうなるだろうか。――その称賛は、「個人の努力によって逆境を克服すべき」というメッセージになるだけでなく、今現に障害に苦しみ、悲しんでいる多くの者に、「信仰心がないからだ」と追い打ちをかけるものになりうるのである。そしてそれは、苦しみや悲しみが、社会との関係を契機として生じていることに目を向けにくくさせてしまいかねない。
苦難の人が親鸞聖人の教えに聞く姿を見た時、「現実を受容した」と感動的に讃えて、さらなる苦難を強いている事実を見落とす問題、すなわち「称賛の落とし穴」を、中村氏は今なお教えてくれている。
(『ともしび』2020年8月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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