-京都教区の大谷大学業生が中心となって結成された「京都大谷クラブ」では、1956(昭和31)年から2019年12月にかけて毎月、『すばる』という機関誌が発行されてきました。京都市内外のご門徒にも届けられ、月忌参りなどで仏法を語り合うきっかけや、話題となるコラムを掲載。その『すばる』での連載のひとつである「真宗人物伝」を、京都大谷クラブのご協力のもと、読みものとして紹介していきます。近世から近代にかけて真宗の教えに生きた様々な僧侶や門徒などを紹介する「人物伝」を、ぜひご覧ください!

真宗人物伝

〈23〉名苗新十郎
(『すばる』744号、2018年5月号)

 

蔵書印「名苗新十郎」

蔵書印「射水郡葛葉村名苗新十郎」

【左】蔵書印「名苗新十郎」 【右】蔵書印「射水郡葛葉村名苗新十郎」

 

1、真宗道場の名苗家

越中国射水郡葛葉(くずば)村(富山県氷見市葛葉)という山あいの村に、近世には真宗道場であった名苗(ななえ)家があります。葛葉村は十軒余りの小さな村で、当家は肝煎(加賀藩における職名、他藩での庄屋)という村役人を代々務めていました。また屋敷面積も広く、村内のみならず、近隣村落の中でも突出した経済力を有していました。葛葉村の大半が、能登国羽咋郡聖川(ひじりかわ)村(石川県羽咋郡宝達志水町聖川)という遠方にある臨永寺(りんえいじ)の門徒でした。名苗家は旦頭(だんとう)(旦那の頭)として、臨永寺からの諸事を各門徒ヘ伝達したり、臨永寺に対して経済的支援をした有力門徒でした。

 

名苗家は「南々内(なんなんのうち)」とも呼ばれていました。この「なんな」は阿弥陀如来の俗称である「のんの」(=のの)がなまったもので、「ななえ」という名字は、「なんな」より変化したものと言われています。

 

名苗家の定書(さだめがき)には、門徒の誰がいつ訪れても、「御戸」のある厨子または仏檀に安置されている「如来様」へ参拝できるようにすべき、と記されています。「阿弥陀如来の家」として、地域に開かれた道場であったことが分かります。また遠方にある臨永寺僧侶が、山路を越えて出勤する場合、困難も多く、特に積雪した冬季の往還は危険を要しました。そのため寺院のない葛葉村では、僧侶に代行して枕勤めなどをする存在が必要とされ、名苗家当主は代々、道場主としてその役を担っていたようです。このように僧侶並みの活動をした門徒の存在が、各地にもいたことでしょう。

 

2、門徒としての7七代目新十郎

名苗家歴代当主のうち、記録が残り、多くの足跡を確認できるのが7代目新十郎(利円、1790~1862)です。同人は6代目新五郎(遵徳、1754~1824)の子息であり、母・清賢(1759~1827)は上田村(氷見市上田)の勝福寺から嫁いでいます。寺院と姻戚関係にあったことは、当家が寺院と同等の家格とみなされていたためでしょう。文政11年(1828)6月29日、新十郎は京都東山の大谷祖廟へ両親のお骨を直接納めており、また新十郎自身のお骨も慶応元年(1865)閏5月7日に大谷祖廟へ納められています。このように19世紀には、京都大谷への各地域の門徒による納骨が、徐々に浸透していったようです。

 

7代目新十郎は、文化10年(1813)7月23日に24歳で東本願寺20世達如上人(1780~1865)から御剃刀(おかみそり)を受け、42歳となった天保2年(1831)8月に夫妻で法名を受けています。そして文久2年(1862)正月29日、73歳で没しました。このように近世後期における真宗門徒としての歩みを知ることができます。

 

3、蔵書家

名苗家では、近世から近代にかけての書籍を八百冊以上所蔵しています。また文政4年(1821)6月に改められた「名苗家諸事書籍目録」には、蔵書を4分類で整理して書き上げています。書籍には、所蔵者を示す蔵書印や署名のあるものもみられます。最も多いのが7代目新十郎で、2種類の蔵書印【写真】を確認しています。

 

蔵書の中に、僧侶の講義を筆録した写本の講録があります。『御堂御教示』は、文政10年(1827)8月21日から26日に城端御坊(現・城端別院善徳寺、富山県南砺市城端)で行われた、高倉学寮の第10代講師である香樹院徳龍(1772~1858)による演説の記録です。文政11年に新十郎は、まず触坂村(氷見市触坂)の蓮沢寺から借りて書写した後、さらに母の実家でもある上田村の勝福寺からも同じ講録を借りて落字を書き加えています。仏教を学ぶ上での熱意を感じることができます。

 

その他にも儒学書や初等教育のテキストである往来物、あるいは軍記物や浄瑠璃本など、様々な分野の書籍があり、幅広く知識教養を身につけていたことが知られます。

 

このように名苗家は、行政・経済・文化・宗教といった多方面で地域の中核にあり、地域における総合センターといえる存在でした。聖俗の両面を併せ持つ真宗道場の特徴を示していると同時に、これからの寺院・道場が求められる姿を現しているようにも感じます。

 

 

■参考文献

松金直美「近世真宗における〈教え〉伝達のメディア」(『大谷大学大学院研究紀要』第23号、2006年)

松金直美「近世後期真宗道場における文化受容―越中国射水郡葛葉村名苗家蔵書を素材として―」(『近世の宗教と社会3 民衆の〈知〉と宗教』吉川弘文館、2008年)

 
■執筆者

松金 直美(まつかね なおみ)