大悲を行ずる人
(中山 善雄 教学研究所研究員)
本年五月二十日、教学研究所所員、東京大谷専修学院学院長等を歴任された宗正元師が還浄されました。師は若き日に、戦後の混乱の中、結婚を機縁として仏道を志されました。仏道が生きる依り処になるのかをはっきりさせるために、京都で様々な先生方を尋ねられたそうです。法話を聞いて理解はできても生きる力となりえないという苦しみの中、それでも気になって聞き続けたのが、今年五十回忌を迎えた曽我量深先生の講義でした。
あるとき、師は思い余り、曽我量深先生に直接、右のような気持ちをお話しされました。すると、曽我先生は次のようにおっしゃったそうです。
師は、この曽我先生のお言葉を、法然上人の「我等ごときは、すでに戒定慧の三学の器にあらず」(『法然上人行状絵図』巻第六)という歎きに重ねて聞きとられました。そして、自らに対する言いようのない悲しみが内に生まれ、それが胸の底に深く根を張っていったと述懐されています。
このような出会いゆえに、師は曽我先生を「大悲の人」と呼んでおられます。そして、ご自身も、「大悲を行ずる人」として生命を燃焼してゆかれました。
私自身は弟子と名のることもできない不肖の者ですが、その愚鈍な者に対して、師は倦むことなく発遣の教命を届けてくださいました。ご自身はあくまでも、曽我先生を始めとした諸仏を念じ讃嘆する、仏弟子の分限に立ちながらも、その発遣は、私にとってそのまま、阿弥陀如来の招喚として与えられていたのです。
師の無倦の説法は、鉄壁の自我により真実を拒否する私にどこまでも随順し、障壁を超えて私の内に染み入る大悲を届けてくださいました。それはまさしく大悲の行であり、親鸞聖人が「如来、清浄の真心をもって、円融無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり」(『真宗聖典』二二五頁)と記される、法蔵菩薩の永劫修行を映し出すものでした。
私たちが傲慢と愚かさゆえに、どれほどその修行を踏みにじり見下げようとも、無心に、衆生の内に入り来り、自らへの悲しみを呼び起こしてくださる如来の大悲。それはよき人の称名念仏、すなわち本願の名号・帰命尽十方無碍光如来となって、至り届けられていたのでした。その仏恩をわが身に領受荷負するとともに、愚かな私の内にまで大悲を届けてくださった願心の展開を、浄土の三部経に尋ねてまいります。
(『真宗』2020年10月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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