コロナ禍の今こそ
社会福祉法人大阪府済生会ハンセン病回復者支援センター コーディネーター
加藤めぐみさん
●コロナ禍で止まった取り組み
2019年6月28日のハンセン病家族訴訟熊本地裁判決では、国のハンセン病隔離政策は大多数の国民らによる偏見・差別をハンセン病歴者だけでなく家族も受ける社会構造をつくり、差別被害を発生させ、それにより人格形成や自己実現の機会が失われ、家族関係の形成が阻害されたと指摘しています。同年11月22日には、「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」が公布・施行されました。さらに2009年施行の「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」も改正され、ハンセン病家族も対象に加わりました。さらに判決では、国・厚生労働省だけでなく文部科学省と法務省が差別除去義務を怠ったことを断罪しました。国として今後、偏見差別解消に向けてどのように取り組むかを厚生労働省、法務省、文部科学省の三省と統一交渉団(ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会・全国ハンセン病療養所入所者協議会・ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国弁護団連絡会・ハンセン病家族訴訟原告団)で協議しています。これまで二回、実施されましたが、コロナ禍で現在は中断しています。一刻も早く偏見差別解消に向けて動き出さないといけない時に、何もできない悔しさを皆が抱えています。
●新型コロナウイルス感染拡大の中で起こっている差別
現在、世界の新型コロナウイルス感染者は2,816万人、死者は90万人を超え、日本の感染者は73,581人、死者は1,412人です(『朝日新聞』2020年9月10日)。一方、8月に全国で自死された方は1,849人で、去年の同じ時期より240人以上増えているといいます。コロナ禍で仕事を失い、家を失い、将来への希望が持てない生活が続く中、新型コロナウイルスに感染し病で亡くなる人より自死数が多い状況が生まれています。無策が招いた人災といえます。
また、新型コロナウイルス感染者や家族、感染が疑われた人、医療従事者やその家族に対する差別も浮き彫りになりました。誰もがウイルスから自分を守りたいと思うのは当然です。しかし、医療と経済だけでなく、人権も新型コロナウイルス対策の柱にならなければなりません。国もようやく「新型コロナウイルス感染症対策分科会」に「偏見・差別とプライバシーに関するワーキンググループ」を設け9月1日から論議をはじめました。
ハンセン病家族訴訟判決が指摘した人権教育・啓発の課題はコロナ禍の今だからこそ克服されなければなりません。また、2001年の「違憲国賠訴訟」熊本判決確定後に三年近く論議した国の「ハンセン病問題に関する検証会議」は、2005年3月に最終報告書で、「再発防止のための提言」として「患者・被験者の諸権利の法制化」「政策決定過程における科学性・透明性を確保するためのシステムの構築」「人権擁護システムの整備」「人間の尊厳及び人権の尊重に立った新たな予算編成上の原則を樹立」「被害の救済・回復」「正しい医学的知識の普及」「人権教育の徹底」「資料の保存・開示等」について示しています。しかし、提言から15年経っても、実現されていないのです。
●地方公共団体での取り組みを
ハンセン病関西退所者原告団いちょうの会は、2020年6月2日、大阪府の吉村洋文知事宛に「要望書」を提出し、9月8日、団体応接を実施しました。大阪府の知事であった橋下徹さんも松井一郎さんも、ハンセン病問題解決に向けて全庁あげて取り組むと言われていましたが、縦割りの行政の影響から具体的な取り組みとなっていないのが実状です。その行政の姿勢が、ハンセン病家族訴訟において裁判所が「偏見差別是正を含む人権啓発教育の適切な措置の義務を怠った」と判断したような状況を作り出したという自覚が必要です。私たち自身の取り組みと各地方公共団体の新たな施策が求められています。
《ことば》
「大谷派は謝り続けてくれているんです。その大谷派の交流集会には、私たちは安心して行けるんです」
平野 昭さん
2008年3月の「第七回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」(高山集会)の時、高山教区駐在教導だった私は、「担当者」として集会に向けてものすごく大変な準備に追われていた。
この言葉は、集会の一ヵ月前、事前公開講座の懇親会の場で故・平野昭さんにお聞きした。
大谷派は1996年に謝罪声明を出しているが、「謝り続けてくれている」と平野さんが言われたのは、謝罪声明のことだけではなく、ハンセン病問題に関わり続ける大谷派の「人」の姿勢に感じておられたからだと思う。
「担当者」ではあるが謝った覚えのない私はその時、打ちのめされた。
ハンセン病問題に多くの人が関わってきた大谷派に身を置くことの意味は、私が問われることであった。「担当者」を超えて、「あなたは何者として、どういう姿勢で生きるのか」と。
他者に対しても、そして自身の在り方にも「ごめんなさい」「申し訳ないことです」…その感覚が、真宗門徒のいのちなのだと思う。
(京都教区駐在教導 谷本 修)
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2020年11月号より