-京都教区の大谷大学業生が中心となって結成された「京都大谷クラブ」では、1956(昭和31)年から2019年12月にかけて毎月、『すばる』という機関誌が発行されてきました。京都市内外のご門徒にも届けられ、月忌参りなどで仏法を語り合うきっかけや、話題となるコラムを掲載。その『すばる』での連載のひとつである「真宗人物伝」を、京都大谷クラブのご協力のもと、読みものとして紹介していきます。近世から近代にかけて真宗の教えに生きた様々な僧侶や門徒などを紹介する「人物伝」を、ぜひご覧ください!

真宗人物伝

〈30〉任誓
(『すばる』751号、2018年12月号)

30『農民鑑』奥付(写本、金間村六兵衛本)

『農民鑑』奥付

(写本、金間村六兵衛本、『任誓著『農民鑑』―能美の土徳 任誓―』より転載)

 

1、真宗倫理書『農民鑑』の執筆

白山麓の加賀国能美のみ二曲ふとうげ村(石川県白山市出合町)に、任誓(にんせい)(与三郎、1658カ~1724)という真宗門徒がいました。万治元年(1658)頃、十村(他藩の大庄屋にあたる加賀藩の村役人)である与兵衛の娘を母として生まれたと伝えられています。

 

17歳の時、上京して東本願寺で召使として働き始めました。そこで当時、東本願寺教団の教学を担っていた、長覺寺(ちょうかくじ)噫慶(いきょう)師(1641~1718、「真宗人物伝〈12〉長覺寺噫慶師」)や光遠院(こうおんいん)恵空(えくう)師(1644~1721、「真宗人物伝〈19〉光遠院恵空師」)といった堂僧に見いだされ、学寮で修学できるようになりました。

 

京都で10年ほど学んでから、27歳頃に郷里へ帰り、学んだことを各地の人びとに語り伝えました。博識な、身の行いも正しい人物だとの評判で、尊敬を集めました。

 

元禄10年(1697)2月下旬、40歳を迎えた任誓は『農民鑑(のうみんかがみ)』という書物を書き上げました。自らを「民家」に生まれた「百姓某」【写真】と称し、真宗門徒として農業に従事する農民の立場から記したものです。農民たるものは家職である農業に専念すべきとし、真宗信仰に基づく倫理書と言える内容です。そこでは、全ての恩を源に帰して、阿弥陀如来に(まか)すという姿勢が示され、また自己をあらしめているものが万物と一体であるととらえられています。少なくとも8本程の写本が現存し、手習本として用いられた形跡もあり、流布していたことが確かめられます。

 

2、異義者としての嫌疑

人びとを魅了した任誓に対して、近隣の僧侶たちはねたみ憎んで、「任誓は邪法である」と言いふらし、ついに本山の東本願寺へ訴えました。

 

そこで東本願寺16世の一如上人(1649~1700)は、任誓を呼び出しました。その際、小松本覺寺(小松教区第2組、小松市寺町)の隠居である観喜院が同行しています。そして任誓は一如上人の前で、居並ぶ博学の僧侶と臆することなく法談し、一宗の真意を堂々と詳らかに説いたのでした。そのため一如上人は感賞して「あなたの説く内容は、一言一句、誤りはない。これからも教化に励むように」と伝えて、任誓へ御書を与えました。その御書は永く本覺寺で保管されていたのですが、同寺の火災で焼失してしまいます。ただし小松などの各講中へ宛てられたその御書の写しが残されています。そこには「当流安心の趣」を心得た人が大変少ないので、今後は他力安心の正意をよく心得るように、という一如上人の意向が示されています。

 

このように本山へ訴えられたものの、かえって認められた任誓に対して、ますます尊敬が集まり、「生如来」のようであるとも称されました。そのため近隣の僧侶たちは、ますますねたましく思い、今度は、国政のさまたげになる邪法を説いてるとして、加賀藩の寺社方へ訴えたのです。

 

そして享保8年(1723)9月16日、加賀藩から河北郡の十村に対して、任誓を召し捕るよう命じられました。そして、関係者8人と一緒に捕らえられてしまいます。

 

その容疑は、近年「一向宗」の説法をして百姓らが大勢集まったことが問題だというものです。さらに「徘徊」、つまり各地を巡って説法しないようにとも言い渡されたのですが、その後も任誓は金沢などへも赴き、秘かに説法したため、ついに捕えられます。そして享保9年(1724)、67歳で獄中にて死去してしまいました。

 

3、今に息づく御講の歴史

白山麓にある「能美郡遠山奥十一ヶ村」の同行中による懇望を受けて、惣代として任誓が上洛し、正徳4年(1714)4月19日、東本願寺17世の真如上人(1682~1744)から御書が授与されました。その御書を拝読する十一ヶ村十二日講は、今もなお継承されています。

 

農民として生まれながらも、僧侶に匹敵する見識と人徳を備えた任誓は、整備されつつあった本末・寺檀という体制にとらわれない教化活動をしました。そのために危険視された一方で、新たな人びとの結びつきを生み出し、この地域における御講を基盤とした真宗の土壌が育まれることとなったのではないでしょうか。

 

■参考文献

大桑斉『寺檀の思想』(教育社歴史新書〈日本史〉177、教育社、1979年)

任誓著・田中辰吉・飴野一郎編『十一ヶ村御書録記』(九日講組門徒会〈小松教務所管内〉、2008年)

飴野一郎編著『任誓著『農民鑑』―能美の土徳 任誓―』(九日講組門徒会〈小松教務所管内〉、2013年)

真宗史料刊行会編『大系真宗史料 文書記録編15 近世倫理書』(法藏館、2010年)

松金直美「地域真宗史フィールドワーク報告 白山麓の宗教文化」(『真宗』2019年11月号)

 

■執筆者

松金直美(まつかね なおみ)