療養所を訪ねて⑥長島愛生園

「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」第4連絡会委員 發知 道隆

   

 岡山県瀬戸内市、瀬戸内海にある長島の島内に長島愛生園はあります。現在、園ではコロナウイルスの影響によって、山陽教区で偶数月に開催している、勤行、法話、茶話会を園の方と一緒に行う交流会も、できない状態が続いています。しかし、長島愛生園創立九十周年式典に参加させていただき、入所者の方と、園の歴史館の学芸員の方から、現在の様子や思いをお伺いしました。

 2020年11月20日に開かれた記念式典は、コロナウイルスの影響により、限られた人数で行われ、約60人が参加されました。この90年は、国の隔離政策によって、多くの方が人権侵害を受けてしまった歴史です。当時を知らない人々にとっては、この偏見、差別の歴史を繰り返さないための、決して忘れてはならない学びが、この90年という歴史に刻まれているのではないかと思います。そして2021年6月9日、記念碑が建てられ、そこには「故郷への想い」という言葉が彫られました。追悼のためだけではなく、同じ過ちを繰り返さないために、反省と誓いの証として建てられたものです。

 入所者の方のお話によると、現在は外部の方と集っての交流会等はできませんが、園内の行事や年忌法要等は制限なく行えています。

 コロナウイルスの感染拡大に伴う偏見や差別については、ハンセン病と同じことを繰り返してしまっているように感じておられるようです。看護師や、その家族が誹謗中傷を受けているという報道を目にすると、病気による差別がいかに深刻なものであったかという、反省が生かされていないように思われ、正しく理解して、正しく恐れる、注意する、ということをして欲しいと言われました。

 お話の中で一番心に残ったのは、たくさんの方に療養所のある長島に足を運んで欲しいという願いでした。「今は、我々のことを活字で表したものがたくさんあるけれど、文面で見たものと自分で触れてみたことでは感じ方も違う。実際に見て感じてもらうことしか方法はないと思う。場所を見て現場に立ち、初めて自分が感じ、わかるものではないかと思う。そういう意味でも交流会が再開し、また長島をみなさんに見て欲しい。長い間会えないことを寂しく思う」と言われました。

 また、学芸員の方は、「毎年12000人程の来館があった歴史館も、2020年は3000人程度と減少し、うまく啓発できないのは残念に感じている。このような状況の中だからこそ、ハンセン病に対する国の隔離政策による差別や排除の歴史から、病気と差別や病気と実験ということを学んで欲しい。今までハンセン病の啓発事業を行ってきたが、実際に偏見、差別ということに現実感を伴うことができていなかったように思う。しかし、今回のコロナウイルスの状況下により、自分のこととして考えるようになった人が増えてきたようにも感じる。全ての人に人権があり、感染症の方にも等しくある。感染した人を、差別や排除してはならず、差別や排除を行うことによって、人々はどんどん差別を恐れ、連鎖していく。差別をされた側もした側も不幸になってしまう。感染症と人権、感染症と差別ということを実感し、今後に生かしていただければと思う」と言われました。

 お二人の話を伺って、今このような状況だからこそ、我々が足を運び感じてきたことを、あらためて振り返り、わが身として、偏見・差別の問題を考えていくことが、大切なことではないかと思いました。一日でも早く、誰もが療養所に足を運べるようになることを願っております。

   

療養所を訪ねて⑦邑久光明園

「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」第4連絡会チーフ 勝間 靖

   

 私の邑久光明園との交流は、山陽教区の先輩の故・上岸了さんから「第五回真宗大谷派ハンセン病問題を共に考える全国交流集会(沖縄)」に誘われる2年前の2002年から続いていました。しかし、コロナウイルスの影響で叶わなくなり1年以上が経ちました。奇数月に山陽教区・大阪教区が主催する定期交流会へ参加していましたが、現在も休止の状態が続いています。

 また、2011年の東日本大震災・福島第一原発事故の発生以来、福島の親子に療養所へ来て保養してもらおうと、多くの方からの理解と支援を得て開催している「ワクワク保養ツアーin邑久光明園」も、昨年に続き中止を決定しました。入所者の方々も、福島から保養に参加される子どもたちの成長を楽しみに、心待ちにしてくださっていたことと思います。しかし、昨年の一月から園内の催しは全て中止となり、面会する時は事前に願い出て、新型コロナ感染症対策をしたうえで、園が用意された部屋で飲食無しで15分を目安に面会するようになっています。コロナウイルスの感染拡大以前は、入所者の方に直接電話し、在宅ならば部屋(居室)に伺っていました。また、一緒に外食したり、旅行をしたりと、自由な時間を共に過ごすことができていました。コロナウイルスによって、自由が奪われてしまっています。

 現在のコロナウイルス感染状況と重ね合わせ、ハンセン病のことをわが身に起こったらと想像してみました。ハンセン病の感染が分かった途端、家族から引き離され、一生、療養所で暮らすしかないと言われます。また、療養所内で入所者どうしが夫婦になる条件として、子どもを持つことを禁じられます。これらは、ハンセン病患者が強いられた苦しみです。ハンセン病は、感染力が極めて弱く、1940年代には治療薬も見つかっていました。にもかかわらず、国は隔離政策を続け、「怖い病気」という誤った認識が広まりました。差別が家族に及ばぬよう、患者は本名を名乗ることもできませんでした。同じ頃、海外では自宅療養が認められ、患者は当たり前のように家庭生活を営んでいました。患者を苦しめたのは病気でなく、社会そのものでした。

 2001年に国のハンセン病政策の誤りを認める判決が出て、その年の6月22日、療養所への入所期間に応じて補償する法律が施行されました。その日は「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」です。1年前、コロナウイルスの状況を巡って、ある調査結果が出ました。日本は「感染するのは本人が悪い」と考える人の割合が、米国や英国など他の四ヵ国に比べて突出して高いというものでした。感染者を過剰に責める傾向が私たちの社会にはあるようです。

 昨年5月、米紙ニューヨークタイムズが異例の紙面を作りました。新型コロナウイルス感染で命を落とした1000人の氏名を載せ、それぞれに人となりを紹介する一文を添えました。死者は単に数字で表せる存在ではないと、伝えたかったといいます。

 全国の入所者数は1950年代の約12000人をピークに減少が続き、10年前の2011年は2075人、今年に入って1000人を割りました。今年の6月現在で、光明園に入所されている方は70名です。

 ハンセン病を煩って回復しても苦しまれた、その一人一人にはお名前があり、懸命に生きた人生があり、誰かの大切な人であったでしょう。皆、残された時間は限られています。亡くなられたお一人お一人からの願いを聞き伝えているのか、私たちは問われているのではないでしょうか。

   

   

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2021年9月号より