伝道掲示板 
世のなか安穏なれ
仏法ひろまれ
親鸞聖人『御消息集』

世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ

日本最北端の街稚内市声問に、開教百三十年を迎える大成寺がある。第四世住職黒田覚祐氏は現在、母校である稚内大谷高等学校の宗教科の教諭であり、ご門徒の方のみならず若い世代にも日々仏教を伝えている。

大成寺の掲示板は境内と、玄関を入って正面の壁に設置されている。そこには住職が受け持つ大谷高校の生徒が授業で取り組んだ「あなたの言葉コンテスト」の作品が掲示されていた。

「あなたの言葉コンテスト」の作品

生徒たちが大谷高校で学ぶ中で心に残ったことや大切にしていきたいことを自身の言葉で表現してもらう。「生徒たちの作品を見るとこちらが想像していた以上に様々なことを感じていて、逆に生徒の言葉に考えさせられることもあり、その中から抜粋して掲示板に書くことにしている」という。若い世代の生の声が掲示板に書かれているのは、他のお寺にはない大成寺の特徴であろう。

学生に仏教を伝える黒田住職

毎年夏休みには、宿題を片手に多くの小学生が本堂に集まる。「家でやるよりも、ここでやるほうが集中できるから」と話す子どもたち。驚いたのは掲示板の前で立ち止まり、その言葉の意味を住職に尋ねていたことだ。「君たちの先輩たちが書いた言葉だよ」と話すと、そこから子どもたちといろいろな会話に発展する。掲示板はこちらからただ言葉を伝えるだけのものではなく、それを見た人たちとお寺とのコミュニケーションのツールにもなる。それは昨今の人間関係の希薄する時代において大切な存在である。


境内の掲示板と黒田住職ご家族


境内の掲示板に書かれていたのは、『御消息集』にある親鸞聖人のこのお言葉。


 「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」

当時は自然災害や疫病、大飢饉、戦乱といった混乱と荒廃に満ちた時代。そんな中仏法が広まり世の中が安穏であることを願われたお言葉である。

住職は、まさに昨今の新型コロナウイルスによる人々の不安や疲弊した姿にこの言葉が重なるのではないかという。


コロナ下で不安に陥っている私たちが早く今までの日常の生活に戻りたい、安心して暮らしたいと願っているが、今までの日常が本当に安穏な日々だったのだろうか? 安穏ということが、一体何をさしているのか?


「自分の基準を中心に右往左往している私が、安穏なれの後に続く、「仏法ひろまれ」という言葉からあらためてあなたはどこに立っているのかと問いかけられていると感じる」と語ってくれた。


(北海道教区通信員・矢田真之) 

『真宗』2021年11月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:北海道教区第十四組(住職 黒田 覚祐)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。