いまだ新型コロナウイルスの影響が残る中ですが、交流の形を模索しながら、ハンセン病回復者やその家族の方々との交流が各地で始まっています。今回ご執筆いただいた、元プロボクサーの村田和也さんは、人生で悩みを抱えてどうすることもできない時、ハンセン病回復者の方との出会いが立ち直るきっかけとなり、「THINK NOW ハンセン病」のロゴをトランクスに入れて、試合をされていました。交流を通して、自らの生活の中で、ハンセン病問題を自身のエネルギーにされている村田さんの生の声を聞き、これから再出発する私たちの交流を見つめる機縁にしたいと思います。

優しさをもらえた出会い

元プロボクサー 村田 和也

 こんな人でもハンセン病に関わることがあるのだな、と読んでいただけたら嬉しいです。

 僕はプロボクサーとして最高位、東洋太平洋2位、日本2位までいきました。

 人生で三度、勝手にハンセン病に縁を感じ、回復者の方たちに近づいていきました。最初は本を読み、次は資料館に歴史館、そして療養所の回復者の方たちとの交流、退所者の方たちとの交流。

 コロナウイルスの影響が出る前は、時間を見つけては、療養所や退所者の方のところへ訪ねさせてもらっていたのですが、ワクチン接種をするまでは、しばらくの間途絶えていました。その回復者の方たちとのエピソードを書かせてもらいます。

  

■森敏治さん

 仲良くなった回復者の方とは家が近いこともあり、家族で交流させてもらっています。それが森敏治さんです。

 森さんとのエピソードは数多くあります。どれを書こうかな~と悩むぐらいです。

 出会った当初は「しんどくなるからあんまり近づき過ぎないで」と言われてしまいましたが、僕はその言葉に懲りずにどんどん近づいていきました。

 当時交際していた女性を初めて「ハンセン病関西退所者原告団いちょうの会」の定例会に誘っていった時は、森さんと一緒に帰りました。森さんは会の時、打ち上げ、帰りの車中でも彼女とよく喋ってくれました。みんなでワイワイと帰ったのが懐かしいです。

 彼女と僕とで森さんの誕生日をお祝いしたことがありました。二人で考えて森さんの名前が入ったジョッキを作って、ケーキを準備して、「森さんいいでしょ? 喜んでもらおうと準備したんよ」と言うと「お前がいなけりゃもっといい」と言われてしまいました。どうやら僕がいなくて僕の彼女と二人のほうが良かったそうです。悲しいことも言われましたが、とにかくよく笑った誕生日会でした。

 彼女と結婚することになった時は、お互いが好きな人である森さんに証人になってもらいました。証人になってくださいと言うと、最初は「え~」と言われてしまいましたが、最後は気持ち良く証人になってくれました。

 お正月に森さんと妻と三人で、僕の実家の静岡に帰りました。僕の親戚・家族と一緒に食事をして、初詣に行きました。静岡の往復の車中も実家でも、森さんがいっぱい喋ってくれて、楽しいお正月になりました。僕の家族も森さんと喋れたと喜んでいました。僕の家族が最後に森さんに「狭い家だけど良かったらまた来てくださいね」と言うと、森さんも「また来るよ~」と言ってくれて嬉しかったです。

 森さんとの連絡はいつも僕からです。けれど、何度か森さんから電話をくれたことがあります。とても嬉しい電話で、一度は引退試合が終わった時。「元気しているかな~? と思って」と電話をくれました。嬉しくてすぐに三人で食事に行きました。

 コロナで直接会うことが難しい時は電話をさせてもらいました。お互いワクチンを打ってからは、総菜などの差し入れを持って、森さんからもらったバイクで訪問させてもらっています。

  

■山城清重さん

 山城清重さんは、いつもスーツをかっこよく着こなしている方で、森さんと大の仲良しです。山城さんともハンセン病の文字が入ったトランクスで戦った時に仲良くなりました。「ボクシングが好きでな~試合の応援にも行きますから」と話しかけてきてくれました。試合の応援にも来てくれて、勝った時はすごく喜んでくれ、負けた時は「変わらず応援するからな」と優しい声をかけてくれました。

 彼女を紹介した時も喜んでくれて、会って何回目かの時には「結婚したらええのに」と、気が早いことを言ってくれました。

 山城さんは僕らのことをよく気にかけてくれました。婚姻届の証人になってもらいたいとお願いすると、しばらく返事がありませんでしたが、最後は気持ちよくなってくれました。

 後から聞いたのですが、山城さんと森さんは、「わしらが本当に証人になっていいのか?」 と話し合っていたそうです。

 二人のおかげで結婚できました。二人が証人なのは一生の自慢です。

 山城さんはよく「元気してるか?」と電話をくれます。山城さんは故郷の家族と連絡がとれ、本名も顔も公表してテレビに出るようになりました。その話を嬉しそうに僕ら夫婦に話してくれるのが嬉しくて嬉しくて。

 妻が妊娠している時は僕らに「村田さんは奥さんを大事にせなあかんで、奥さんもなんかあったら村田さんに頼みなよ、無理はあかんで」、そして「楽しみにしている」と言ってくれました。

 いよいよ出産の日がきました。僕が病院に行く準備をしている時にも電話があり、山城さんは「村田さんそろそろと思って電話したんよ~、ほんまか? 今日か、大丈夫だからまた電話して」と言ってくれました。

 無事に産まれてきてくれました。コロナの影響で病院に入れるのは僕だけで、会えたのも廊下で三分ほどでしたが、母子ともに無事でなによりでした。二人とも頑張ってくれました。

 両家の家族に電話した後は、さっそく山城さんと森さんに電話です。二人とも「良かったな~本当に良かったな~」と言ってくれました。「二人のとこにも連れて行くから抱っこしてね」と言うと「わかった、楽しみや」と言ってくれました。

 ある支援者の方に聞いたのですが、「赤ちゃんを抱っこしないといけないから長生きしないとな~」と言ってくれていたそうです。二人にはいつも温かい気持ちをもらっています。

  

■最後に

 「このハンセン病差別を作った国はおかしい」と森さんが言っていました。

 山城さんは、「ハンセン病差別で苦しんだからコロナの差別や障害者への差別の大変さがわかる。だから差別をしないでくれ、差別されるのは自分らだけでいい。自分が犠牲になるから新たな差別が生まれないように子どもたちの未来を開いていきたい」と語ってくれました。

 差別を経験した二人の言葉。コロナの影響に、多様化していく現代で、山城さんや森さんの言葉は今の僕らにも大事なのではないでしょうか?

 

  

 真宗大谷派宗務所発行『真宗』2022年2月号より