かてなき時代
(藤井 祐介 教学研究所嘱託研究員)

又、このくには、昨年こぞ作物つくりものことそんじ候いて、あさましき事にて、おおかたいのちくべしともおぼえず候う中
に、ところどもわり候いぬ。(聖典六一八頁)

 

右は『恵信尼消息』の一節である。越後での飢饉を伝える。飢饉の原因は前年の不作にあり、その影響により土地を去った人々もいたようである。
 
さて、消息にある「作物つくりもの」は食料か、それとも食糧か。
 
食料と食糧は一字違いであるが、同じ意味ではない。辞典によれば、食料は「食物の原材料」「食べ物」を意味する。一方、食糧は「食用とするかて」、主食となるかてを意味する。米、麦などの主食となる穀物は、食糧である。同じ辞典には、食糧に関連した言葉として、「食糧管理制度」「食糧庁」「食糧難」など一〇の項目が並ぶ。反対に、食料に関連した言葉は「食料品」のみである(『日本国語大辞典 第二版』第七巻、小学館、二〇〇一年、三四四頁)。
 
飢饉は食糧難にほかならない。生きるために必要な糧が手に入らないから飢饉が発生する。ゆえに「作物」は主食となる糧、すなわち食糧である。食料や食料品ではない。先の消息にあるように、「作物」は「命」と直接に結びついている。人々は「作物」を食すことによって生きることができる。「作物」を確保できなければ、他の土地へ移らざるを得ない。食糧難の時代にこそ食糧の意味が明らかになる。
 
食糧という言葉は、飢餓の記憶だけでなく、戦争や災害の記憶ともつながっている。例えば、先の辞典には「食糧営団」「食糧管理法」「食糧証券」といった項目が並んでいる。いずれも第二次世界大戦前後の食糧難に関連した言葉である。今から八〇年前、飢餓は遠くのできごとではなく、身近なできごとであった。戦後も食糧難は解消せず、餓死者の多い状態が続いた。先の辞典には「食糧庁」「食糧配給公団」「食糧メーデー」といった項目もあるが、これらは戦後の言葉である。
 
最近、ウクライナ情勢との関連において「食料危機」や「食糧危機」が問題になっている。食料と食糧が区別されずに用いられているが、同じ意味ではない。ウクライナは世界有数の穀倉地帯である。ウクライナで収穫される小麦は、人々が生きるために必要な糧である。ゆえに、「食料危機」ではなく、「食糧危機」と表現すべきではないのか。「食糧危機」という言葉の向こうには、糧を失った人々、糧を手に入れることのできない人々が存在する。八〇年前の戦争の記憶とともに、飢餓の記憶も失われつつあるのだろうか。

(『ともしび』2022年9月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)

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