分別=比べる心
著者:小川一乘(北海道教区西照寺前住職・大谷大学名誉教授)
現在では、競争社会のなかでナンバー・ワンを目指すことが大きな目標となっている。そこに何か空しさのようなものを感じ取っているのが、いまの人たち、とくに若い人たちではなかろうか。ナンバー・ワンとは、人と比べて生きることである。人を乗り超えて生きていくことである。ベターに生きよう、よりうまく生きようとするのが、とりわけ競争社会に身を置いている私たちの基本的なスタンスとなっている。
競争社会とは、経済的な社会生活に限ったことではない。オリンピックに代表されるスポーツ界においても、身体の健全(体育)という目的が競争という目的にとって代わられて、経済的な利益さえも保証する、そんな社会となっている。
それに対し、オンリー・ワンは、ベターに生きることではなく、ベストに生きることである。比べる必要のない、それぞれの〈いのち〉がベストに生きようとすることである。
そうした生き方を拒む要因は、私たちのなかにある。他と比べて生きようとする心がそれである。比べる心を、仏教では「分別」という。比べる心が私たちにさまざまな苦悩やストレスをもたらすのだが、そこにいるかぎり、他と競争し続けるベターな生き方しかできないのである。
そこで、「分別」を超えていく「無分別」こそが、仏教の覚りの基本となるのである。比べる心をもったとき、私たちは上に位置づけた者に対しては卑屈になり、下に位置づけた者に対しては傲慢になっていく。しかも、ナンバー・ワンであることは長くは続かず、必ずや追い落とされる運命が待っている。そういう生き方に終始するとき、人間の不幸がどんどん増幅されていく。比べる心を乗り超えたところに、ベターな生き方ではなく、一人一人がベストに生きる生き方が姿を現してくる。
『阿弥陀経』に、こう説かれている。浄土(釈尊の覚りの世界)にあって、私たちの〈いのち〉は比べられることなく、それぞれベストに光るのだ、と。
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光
(青色は青く光り、黄色は黄に光り、赤色は赤く光り、白色は白く光る)
『親鸞が出遇った釈尊―浄土思想の正意―』(東本願寺出版)より
東本願寺出版発行『真宗の生活』(2019年版②)より
『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2019年版)をそのまま記載しています。
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