「生まれてきてよかった」へのざわめき
(教学研究所研究員・難波教行)

「生まれてきてよかった」。
 
聴聞の場で、折にふれ、耳にしてきた言葉である。いつからだろう。私は「生まれてきてよかった」と思い、よろこべるようになることこそ、真宗の教えを聞いている証拠であり、目的であるかのように考えてきた。
 
〈人は生きる中でさまざまな苦難に遭うが、それは私を育て、導くものである。真宗の教えを聞き、そのことに気づいたとき、すべてをひっくるめて「生まれてきてよかった」と思えるようになるはずだ〉というように──。
 
そう考えていた私への問いかけとなる事件が起こった。二〇一九年十一月三十日、二十四時間介助のもと、京都で一人暮らしをしていたALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う五十代の女性に対し、医師免許を持つ男性二人が薬物を投与して死なせた事件──京都ALS患者嘱託殺人事件である(事件報道二〇二〇年七月。医師一人はのちに免許取り消し)。
 
「嘱託殺人」と呼ばれるように、女性は「死にたい」と願っていた。SNSを通じて知り合った男性二人に殺してもらうよう依頼し、死を遂げた。いわば「生まれてきてよかった」といいえない情況を生きたのである。
 
ALSは、身体のほとんどが動かせなくなってゆく難病である。根本的な治療法もなく、容易に受け容れることなどできない病にちがいない。しかし、彼女が「死にたい」という願望をもったのは、病を患う身体だけが原因ではなかったのではないか。
 
亡くなる五日前、彼女は、最後のツイッターに、こう書きこんだ。
 
 65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める
 施設行きになる あそこに入ったら殺されると脅される
 むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから
 惨めだ
 
十分には読み取りがたい。それでも、生きるために必要なヘルパーとの関係において、厳しい環境におられたことは、ひしひしと伝わってくる。
 
彼女は、十七もの事業所からヘルパーを派遣してもらっていたといわれる。介助の体制を整えるために、病とは別の苦労があったはずだ。ヘルパーが見つかりにくかったことは、彼女が入浴介助を男性ヘルパーに頼まなければならず、そこに大きな屈辱を感じていたという報道からも窺える。
 
いまは、周りの人の問題を指摘したいのではない。事件を通して、私もまた、だれかを生きづらくさせながら生きていることを思わされるのである。私たちの生きる世界は、苦難に直面した人を、さらに「死にたい」とまで思わせてしまう世界なのではないか。
 
お互いに傷つけあう「穢土」と呼ばれる世界に生きていることを教えられるとはどういうことなのだろう。
 
あらためて申すまでもなく、浄土真宗は、穢土を厭い、浄土を求める教えである。ただ、穢土から浄土への方向性をもつだけではない。浄土真宗は、浄土という世界にふれ、自己が罪悪深重であり、世界のありようが穢土であると知らされる教えである。そして、浄土に照らされながら、穢土を生きることがはじまる教えである。
 
それは、「私」が教えを聞いて、「生まれてきてよかった」という思いをもつだけでは済まない自己と世界の現実のすがたを知らされるということでもある。
 
もしも「生まれてきてよかった」と、いえるとするなら、それは、たんなるよろこびではない。浄土にふれ、「生まれてきてよかった」では済まない自己と世界とを知らされる悲歎においてのみ、あえていいうるのではないか。

 

(『真宗』2023年3月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
 

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