継続から継承へ

解放運動推進本部本部要員 中山 量純

  

■「ハンセン病はいま」

 1997年1月、「ハンセン病はいま─人間回復・解放の力となる教え・ことば・関わりを求めて─」と題して、本連載が始まりました。その第1回の「連載にあたって」の中では、

 いま、私たちは、大谷派の中から、ハンセン病療養所の「患者」さんたちと関わり続けてきた微かな歩みをとおして気づかされてきたこと、教えられてきたことを、もっとハッキリとした形に表し、広げていきたいと願っています。「同朋」であることを奪い、破壊してきた真宗布教の経緯への懺悔に立って、今、そしてこれから何を、どう明らかにしていけばいいのかと考えながら…。

と述べられています。前年(1996年)4月に「らい予防法」がようやく廃止され、この時にあたって、真宗大谷派では「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を発表、国家に対する「要望書」を提出しました。そこで、国の隔離政策の問題を見抜くことができず、偏見に基づく排除の論理によって「病そのものとは別の、もう一つの苦しみ」を与え、四海同朋の教えに背いてきたことを謝罪しています。その謝罪に立って、療養所の内と外を分けてきた私たちがまず、回復者の声を聞き、そこにいる人と出会うことで、ハンセン病問題に学んでいく場所として、本ページが設けられました。

 その時の執筆主体は「ハンセン病に関する懇談会(現・真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会・以下、「ハンセン懇」)」です。「らい予防法」が廃止される直前、それまで各療養所へ個別に訪問し、交流されてきた人たちを、宗派が一堂に集めて、「予防法」廃止にあたり歩みを始めようと組織されました。

 爾来、宗派のハンセン病問題の取り組みは、「ハンセン懇」を中心に展開してきました。特に「ハンセン懇」発足以前より交流を続けてこられた方々は、謝罪声明に表される本問題の核心を、具体的な事象をもって提起され続け、ハンセン病問題が宗派をあげて取り組む課題としての基礎を固めていただきました。問題を課題として掘り起こした方々、そこに集い、共に身を動かしてこられた方々に支えられ、回復者やその家族、支援者らとの交流を軸として取り組んできたのが、宗派のハンセン病問題の取り組みのように思います。

  

■300回を迎えて抱える課題

 「ハンセン病はいま」も前回で300回を迎えました。その間、回復者やその家族、療養所や資料館の職員の方、支援されている弁護士やソーシャルワーカーの方など、多くの方にご執筆いただきました。もちろん「ハンセン懇」委員をはじめとした、この問題に取り組む宗派の僧侶やご門徒の皆さんにも関わっていただきました。あらゆる方面の方々にお力添えをいただいたことで、差別と被差別の関係を超えた解放への願いと歩みが交わる場所として、このページが大切にされてきました。

 一方で、26年という歳月は短くなく、ハンセン病問題を取り巻く状況は当初と大きく変わってきました。その最も大きなことが入所者の減少と高齢化です。連載当初には全国に5,601名の入所者がいらっしゃいましたが、現在は927名(2022年5月)と、1,000名を切りました。平均年齢も87.6歳にまであがり、入所者との交流の場の一つであった、療養所内のお寺での同朋の会も閉じざるを得ない状況となってきています。これまで療養所での交流を通して学んできましたが、療養所へ行っても会えない状況が迫っています。

 また、昨今のコロナウイルス感染症の影響により、療養所への訪問も制限を余儀なくされ、交流を柱とした取り組みも、大きな転換期を迎えています。各教区から選出される「ハンセン懇」委員の方々も、27年の歳月の中で少しずつ入れ替わり、30代の方も多く、発足当初から関わられている方は数人となりました。つまり、1996年の頃には小中学生だった人たちも、この課題に取り組みはじめているのです。

  

■継続された意味の継承を

 当時、小学生だった私は、取り組み当初の熱量を知りません。全国の療養所内で「らい予防法」の廃止に向けた入所者の立ち上がりや、「謝罪声明」から国賠訴訟にかけた宗派内の機運は、先輩方のお話をうかがうことで、その一端を知り学んできました。しかし、当時の熱量との温度差を感じながら、具体的な熱量が自分の中に明らかとならないのです。

 ある高校でハンセン病問題について講演する機会をいただき、力不足を感じながらも話をしました。ハンセン病の歴史において、市民が何を過って、何を犯し、そして何故過ったのか、ということを高校生と対話しながら考える中で、私の中に浮かぶ顔がありました。それは私がハンセン病問題を通して出会った回復者やその家族、またこの問題に取り組んでこられた先輩方です。「らい予防法」が廃止され、強制隔離も政策としてはなくなりました。しかし、今なお、療養所にいることを余儀なくされ、ふるさとにも帰ることができず、自らの名を名のることができない「人」がいます。また、その事実を今、私に届けようと動き続けてこられた「人」がいます。そのことが私の中で、ハンセン病問題を歴史の一場面として風化させることなく、現存する具体的な課題となっていたのだと思います。

 講演後、控室まで高校生がたずねてきて、「療養所に行きたい」と言ってくれました。十分とは言えないながらも、何かが伝わったように感じられました。それは、様々な人たちによってハンセン病問題の取り組みが続けられてきたことが、知らず知らずのうちに私の中に少しずつ蓄積されていたからこそ、その継続の「意味」が伝わった瞬間のように思います。

 その「意味」こそ謝罪声明の意味です。私は、先輩方が何故「謝罪声明から始まる」ことを大切にされているのか、長い間疑問でした。しかし、よくよくその意味をたずねれば、我が身の愚かさを教えられたものに頭が下がり、懴悔と讃嘆をもって開かれた世界、差別・被差別を超えて出会うことのできる世界を生きたいと願う者として、行動していくことの表明なのです。だから、私はこの「謝罪声明」を、一人となって生きあう真宗の仏道そのものとして受けとめています。

 今、これまで継続されてきた熱量は下がってきています。当事者と出会えないことが大きな問題としてあります。しかし、当時と同じ「熱量」を知らなくとも、継続されてきたことの「意味」を継承し、新たな熱をもって伝わっていくことがあります。「ハンセン病はいま」も300回を超えた今、これまで「継続」されてきたことを「継承」していくとはどういうことなのかを、課題としていかなければならないと感じています。

*次号は、「継承」という課題をもって具体的に活動される、写真家の八重樫信之さんにご執筆いただきます。

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2023年3月号より