今、この時代にあって、再び「民藝」が注目されています。
民藝は、1926年に宗教哲学者であり思想家であった柳宗悦が濱田庄司、河井寬次郎らと提唱した、暮らしの中の陶磁器や漆器、染織物の中に美しさがあるとう、新しい美の概念を表す言葉でした。
それは、どのような背景のなかで生まれ、どう変化してきたのでしょうか?
民藝が提唱された頃、日本は近代国家の建設により、西洋から取り入れた鉄道や機械により工業化が進んだ時代。そして、戦争の影が色濃くなった時代でもありました。
民藝運動は、そうした近代化がもたらした新しい価値観を踏まえた上で、表裏一体で併走するように展開し、そして、棟方志功が富山の南砺の地に疎開したことが機縁となって、柳宗悦が真宗により育まれた「土徳」と出会ったことにより、さらなる発展を遂げました。
しかしながら、今では、生活上の道具であった陶磁器や漆器、染織物などは、美術作品としての色合いが濃くなり、実用品とはいえない性格のものとなっているように思います。
また、暮らしの中で使われる食器や織物は、一過性の「流行」のもと大量に消費され忘却されており、「持続可能な社会」、「もったいない」、「ありがたい」ということとは反対の道を歩んでいるように思えます。
2021年は、民藝が提唱されて100年、そして、それを提唱した柳宗悦の没後60年にあたりました。また、2023年は棟方志功の生誕120年となります。
民藝運動は、生産から流通までの仕組み作り、農村の生活改善や景観保存まで、人・モノ・情報をつなげ広がりました。砺波平野に広がる散居村は、実は循環型の生活そのものです。
当たり前のようにそこにある南砺の「土徳」から、私たちの暮らしそのものを見つめ直す機会としたいと考えています。
開催にあたって、柳宗悦や棟方志功と交流があった城端別院善徳寺様、光徳寺様、大福寺様に多大なる協力をいただきました。
また、明治期の東本願寺の再建では欠かせない彫刻職人が多く住む井波では、井波別院瑞泉寺様と東本願寺で協力し、井波別院瑞泉寺寺院活性化プロジェクトを展開し、地域の方々とともに様々な活動を試みています。
ぜひ、南砺の地域を訪れていただき、「土徳」に触れていただければと思います。
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